こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は自他共に認めるブスなのですが、最近不思議なことが起こっています。
それは、「綺麗な人」と称されること。
全く綺麗ではありません
もちろんその大半がお世辞でウソだというのは理解していますが、でも別に、「いやそのシーンでわざわざ容姿に関するお世辞(ウソ)を言わなくてもよくない?」というシーンで言われることも増えてきた気がする。
そう言えば私が喜ぶと思っているのだろうか・・・
自他共に認めるブスとして生きている私には営業妨害だし、困惑するだけなのでやめていただきたいのですが。
そして重要なのは、若い頃にそういう事は(たとえお世辞であっても)ほぼ言われたことが無いってことですね。
オバサンになってから、同じような顔で同じように生きているのに、なぜか言われるようになった、っていうのが不思議で仕方がない。
あ、もしかしたらマスク社会になったっていうのも原因の1つとしてあるかもしれないな。
私のブスは主に顔の下半身だからな。
・・・とも思うけど、なんだかそれも違う気もする。
おだてが有効だと思われる年になったのかもしれない
もしかしたら、私も相当なレベルのオバサンになり、「とりあえずコイツはおだてて調子に乗らせておかねば」みたいになっているのかもしれない。
ここ数年は会社で誰かを叱ったりしてないし、いつもニコニコ、人畜無害なオバサンとして頑張っているつもりなんだけどな。
それでも「オバサンにご機嫌でいてもらうためには、とりあえず綺麗だって言っておこう」って思われているのかもしれない。
もしそうなら、自分はそうやっておだてられる、若者に気を遣われる年齢になったということを強く自覚していかねばならないな。
オバサン加点が存在するのかもしれない
また、もしかして・・・と思ったのは、「オバサン加点」ってものもあるのかもしれない。
「(オバサンなのに)綺麗ですね」「(オバサンなのに)素敵ですね」とか。
・・・うん、ありそうな気がする。
うちの母も、そこそこの年だけど、ベルメゾンとかで買った柄チュニックとか着てると、「若いですね」って言われているらしいし。
「年の割には」「オバサンなのに」が前についているんだろうな、きっと。
あとは、どうやら若者の「オバサン」イメージが、ちびまる子ちゃんのお母さんくらいな感じな気もする。
あのタイプのオバサンは、逆にもうレアケースだと思うけど。
オバサン加点・既婚加点・子持ち加点
自分が年取ったっていうのもあるけど、周りの容姿に対する目の厳しさが「結婚した」っていう時にも和らいだのを感じた気がします。
「オバサンなのに」「既婚者なのに」「子持ちなのに」で、容姿に関する評価をする時に加点がある気がする。
20代独身の時はその加点がゼロだったからな、先輩や上司に色々言われて面倒くさかったな。
それは、「メイク大好き、朝5時に起きて毎日2時間メイクとヘアセットします」みたいな同僚がいて、その子と比べられてたっていうのもあるかもしれないけど。
なんかそのへんが、「子持ちなのにちゃんとメイクしていてすごい」みたいに変わっている気がする。
まぁこれは、どんな世代でも放っておいてほしいし、別にスッピンで通勤しようと業務に支障がなければいいと思うんだけど。
余計なお世話なんだよなーって言うのはもちろんのことね。
オバサン加点は恋愛ポイント対象外
しかしそんな、オバサン加点は、恋愛においてはポイント対象外になります。
楽天ポイントの期間限定ポイントみたいに、楽天市場やコンビニでは使えるけど投資には使えないみたいなやつ。
逆に言うと、加点なしで見られていた頃は、恋愛対象か否かって判断のテーブルには載っていたのだろう。
そのテーブルからは、ボロンボロン落ちたけど。
そうやって、判定が甘くなったから、ある意味「どうでもいい」になり、その結果褒められるようになったのだろう。
超一流料理人が超一流料理店をジャッジするのと、コンビニメニューをジャッジするのの評価がまったく異なるように。
ルッキズムと美を認めるの差
誰かの容姿をバカにしたりするのは本当にクソだと思うんだけど、その一方で「かわいい」とか「美人」とか「かっこいい」とか、そういう人の身体的特徴(おもに長所)に触れたりすること自体がいけない、というのもまた違和感を抱いてしまう。
だって、恋人や結婚相手を探している時に、容姿なんて一切気にしないなんて人の方が少なくないですか?
そうやって、実際に「ある」ものを、いけないことだからと言って「ない」ものにする方が不自然だと思うんですわ。
そうやって色々考えると、若い頃にシビアに見られていたのも、まぁ仕方ないのかなぁ・・・と思ってしまう自分がいる。
オバサンになってからの方が、断然生きやすいけどね。
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