こんにちは、ドクダミ淑子です。
在宅勤務中、昼休みにTVを見ることが増えた人もいるのではないでしょうか?
かくいう私も、生粋のテレビっ子なので12~13時は、ばっちり付けています。
夫と一緒だと、「ニュース」を観たがるし、夫は「とりあえず8チャン(フジテレビ)」派なので、バイキングを観ていたのですが、私があまりにも坂上忍が嫌すぎて、ギブアップ宣言をしました。
ただ、「ニュース」は譲れないようで、次に「ひるおび」に変えました。
MCの恵俊彰の「へぁ~」「ほぉ~」「はぁ~ん」っていう相槌が気になって仕方がないけど、坂上忍よりも「圧」を感じないから、まだマシかなって思って観ている。
ただ、ちょっと「この人バカだな」とか、「それ!さっき言ってたよね!?人の話聞いてる?」って思うことはあるけど。
そんな感じなので、夫がいないときは、ヒルナンデス!一択ですね。
昼休みのちょっとした息抜きに、やっぱり楽しくて癒されるものを見たい。
阿佐ヶ谷姉妹が好きになる
ヒルナンデス!を見ていると、阿佐ヶ谷姉妹っていいなぁ・・・と思います。
自宅からリモート出演して自家栽培の豆苗を見せる阿佐ヶ谷姉妹、岩下の新生姜ミュージアムではしゃぐ阿佐ヶ谷姉妹、つい先日はOggiの表紙風写真を撮る阿佐ヶ谷姉妹・・・
二人が仲良しで、楽しそうで、そこに「おばさんイジリ」がない空間なんですよね。
おばさんイジリがない心地よさ
阿佐ヶ谷姉妹って、どこからどう見ても「おばさん」です。
同年代の美魔女と比べると、とことん、おばさん。
アンチエイジングに力を注がず、若者ぶることもなく、生活臭を隠すことのない、おばさん。
でも、ヒルナンデス!では本人以外は誰も「おばさん」って言ったりイジったりしないんですよね。
それがよい。
ナンチャンとかも、2人の行動についてツッコミを入れることはあるけど、容姿や年齢についてイジることはない。
その風景を見ると、大久保佳代子さんとか、光浦靖子さんとか、いとうあさこさんとかって、バラエティ番組だと、今まで思いっきり「おばさん」「ババア」って言われていたんだなぁ、それは変なバラエティルールだったんだぁ・・・ということに改めて気づいたのです。
そして、周りの人の扱いもいいなと思った。
さっき書いたOggi風の写真を撮るっていうのも、専属モデルの朝比奈彩さんが服を選び、Oggiのメイクさんがヘアメイクをして、カメラマンさんが写真を撮っているんだけど、誰もが「阿佐ヶ谷姉妹の良さを引き出す」「Oggiクオリティの写真を撮る」っていうことに集中していて、そこに「素材がおばさんだから、上手くできなくても仕方ない」「笑いに持っていく」とかの逃げがないのが良かった。
カメラマンさんはいつもと勝手が違いすぎて困惑してたけどな。
おばさんで何が悪い
阿佐ヶ谷姉妹を見ていると、今までの「おばさん」臭さを出すことの恥ずかしさとか、おばさんに見えないようにする努力とか、そういうのがどうでもよくなるんですね。
「私、おばさんですけど、何か?」っていう軽やかさがある。
これ、心地よいなぁ・・・と。
女で居続けるというプレッシャー
そんな阿佐ヶ谷姉妹の浸透で、女の業界にも変化が見られてきているのではないか?と感じるのです。
女がざっくり、こんなカテゴリーに三分割されていたとして。
- 若い女
- 既婚・子持ち女
- 若くないけど独身女
んで、この中でおばさんになるが許容されているのが「既婚・子持ち女」だけみたいな。
「若くないけど独身女」って、美魔女みたいにならなければならず、そうなれなかったら「ババア」としていじられるしか道がない・・・みたいな。
特にテレビの世界ではそんな感じで、現実の世界でも、そういうジャンルの空間はあると感じる。
職場によって、集まる人たちの考え方によって。
そういう意味で、この本はしんどかったな。
私はもともと、「女としてうんたらかんたら」と、容姿やらなんやらで周りからやいのやいの言われるのが嫌だったけど、結婚してそれがパッタリ止んで安心したんですよね。
でも、独身でいると、なぜかそれを言われ続けるような世界もあるわけで。
そういう「独身はいつまでも女としての魅力をキープし続けないといけない」みたいなのが、阿佐ヶ谷姉妹を見ていると、ガラガラと崩れていく・・・それが心地よい。
人生色々と阿佐ヶ谷姉妹
多様性だなんだと言われる昨今。
とはいえ、「人間は子供を生んで育ててこそ云々」とか言う人もいる。
まぁそれも多様性の1つなんだけど。
そんな言葉や主張にモヤモヤする中でも、楽しそうで仲の良さそうな阿佐ヶ谷姉妹を見ていると、どうでもよくなってくるんですよね。
本人が楽しければ、いいじゃん!と。
色々な人がいて、誰もがその良さを認められる世界。
阿佐ヶ谷姉妹を見ていると、そんな希望のようなものを感じるのです。
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