こんにちは、ドクダミ淑子です。
子どもの離乳食が進み、ウィンナー(皮なし)を解禁、そろそろ幼児食か!?という、今日この頃。
量については、相変わらずあれこれ試行錯誤中だけど。
そんな中、我が家のエンゲル係数は爆上がりしています。
なぜなら・・・高い果物買っているから。
糖度との出会い
もともと、我が子はものすごく酸っぱいものに敏感な子でした。
多くの乳児がパクパク食べるという、ベビーダノン&プチダノンも2ヶ月くらい「酸っぱくて無理!」みたいな感じで、ひと口ずつしか食べなかったりしていたんですわ。
それも「食べた」というか、「なんだかわからず口に入ってきて、”あ、あの酸っぱいやつだ!”と気づいて拒否・・・なので、受け入れる気はゼロでした。
でも、ある日突然慣れたのか食べられるようになり、今はプチダノン(もも)が好き。
初めてトマトを食べさせた日には、もう、顔中くちゃくちゃになって「す、酸っぺぇ!?」ってなった。
そして、気付いてしまったのです。
「糖度の高さ」の重要性に。
糖度というものさし
うちの子は、「同じフルーツでも糖度の高いものは食べるけれども、糖度の低いものはすっぱがって食べない」という大変繊細な舌の持ち主で。
最初に「酸っぱい」ではなく、「美味しい」と思ってもらいたいな・・・なんて思ったら、自然と糖度の高いものを探すようになりました。
そして、某スーパーに辿り着いたのです。
そこは、品種や産地とともに、糖度が記載されており、標準よりも低め・標準・標準よりも高めのものが、わりと種類豊富に置かれています。
そしてお値段はというと、標準-100円=低めさん、標準+100円=高めさん、という感じ。
私は売り場で、毎回悩むんですよね。
「標準・・・でもよくない?」と。
でも、それで食べなくなったら、嫌いな食べ物になったら・・・と考えると、エイヤっと糖度高めさんを手に取ってしまう。
・・・というのを、毎回、ミカンとイチゴでやっている。
糖度と資本主義
お蔭で我が家の食費はちょっと上がっているのですが、「うまい!うまい!うまい!」とフルーツやトマトを頬張る我が子を見ていると、まぁいいか、という気持ちにもなってきます。
さて、この糖度の問題。
以前、たしかnoteで、「非接触の糖度計が出てきたから、安いミカンに当たり(甘いの)が入っているということがなくなり、甘いもの=高いものになってしまった」みたいな文章を読みました。
なるほどそういうことなのか・・・と思ったのですが、逆に言うと「お金を出せば、ハズレを引くことがなくなる」という点ではフェアなんじゃないかな、と思ったりもする。
もちろん、「安くて良いもの」が最高なんだけれども、「高いのに悪いもの」が無いというのも、同じくらい大事なんじゃないかなと思う。
良いものが欲しければお金を出し、お金がないならある程度妥協して、安くて良いものがあったらラッキー、みたいな。
・・・というのを、私は仕事の中でもよく考えていた。
たとえば、求人サイト。
あれって、掲載順位のロジックは色々あるんだけれども、「料金順」というのも多いんですよね。
お金を出せば上の方へ行き、お金を出さなければ下の方になる。
時々、「我々みたいな予算の低い中小企業が下の方に行くのは不公平だ」みたいに言われたことがあったけれども、私はそうも思わなかったな。
「会社の規模は関係なく、お金を出せば上の方に行きます。それこそ資本主義です」とか思っていた(のを、めちゃくちゃマイルドに伝えていた)。
逆に、お金を出しているのにも関わらず下の方に行くことこそ、不平等じゃないか。
求人サイトだけではなく、色々なものの掲載順位が、そうやってお金の多寡で決まっていると思う。
・・・ということもあり、我が家の食費高騰問題については、「美味しいものを得るためにお金を出しているのだ」と思って納得するようにしている。
糖度が高いと、美味しい
・・・と、いろいろ御託を並べましたが、糖度が高いものって、マジで美味しい。
糖度が高いミカンとか、幼少期に食べていた箱ミカンと比べると、雲泥の差で美味しい。
「泥」とか言ったら実家に失礼だけど、私の実家では、ミカンは質より量だったから、それはそれで仕方ない。
1回で3個くらい食べていたからな。
それに比べて、今の我が家では1日1個、大事に大事に食べる感じになっているから、味わい方が違うのだ。
そんな感じで、いつか、子どもが「質より量」になった時には、方針を切り替えると思うけれども、今の我が家は、とりあえず糖度至上主義でやっております。
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