こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんのブログを見ていたら、どうやら実家でクリスマスパーティーをやったようですね。
その理由に「クリスマスイブから旦那の前妻さんとの娘ちゃんたちが遊びに来るから、その前にうちの実家メンバーとクリスマス」と書かれていて、元妻の子と今嫁が接触するところが窪塚洋介ファミリーか石田純一ファミリーみたいで興味深いなと思ったのですが、そのことについてはまた別の機会に考えるとして。
今回は、はあちゅうさんのことから、「私は家族=核家族って考え方なんだな」と思ったという話を書いていこうと思います。
実家メンバー、常にいる説
はあちゅうさんのインスタを注意深く拝見していると、「家族の時間」に同伴している人がいるのがわかります。
それは、はあちゅうさんのお母さんと妹さん。
息子さんからすると、おばあちゃんとおばさん。
旦那さんからすると、姑と小姑。
彼女らは、写真撮影係兼息子さんのお世話係として、活躍しています。
絶妙に「家族3人感」を醸し出した写真をアップしているのですが、「あれ?じゃあこの写真は誰が撮っているんだろう?」と考えると・・・どう考えてもあと1人はいないとおかしい。
そういう視点でねっとり拝見していると、「たぶんこの視線の先にもう1人と、カメラ担当にもう1人・・・2人はいますねぇ」と私の中の古畑任三郎がブツブツ言い出します。
世の中には実家・義実家大好きでしょっちゅう交流があったり、なんなら同居している人達だっていますから、別に常に祖父母と叔母が同伴していることがおかしいとか間違っているとか、そういう話じゃないんです。
ただ、彼女の結婚に対する主張を読んでいると、それとは真逆のことしてない?と思うから違和感なだけで。
「親戚付き合いはいらない」って書いていて、そりゃ娘の自分からすれば自分の母親と妹だから「親戚付き合いっていうか家族だしぃ」って思うかもしれないけど、それ旦那さんからみたら「親戚付き合い」じゃね・・・と思ってしまうのです。
個人と個人の関係で結婚したと言っても、自分の母とは濃厚な繋がりが残っていて、というか依存していると言ってもいい状態になっている。
まぁ、これも事実婚したばかりで子どもがいない時ですから、子どもが生まれたらそんな状況も一変して、おばあちゃんを出動させないと回らなくなったのかもしれないですけどね。
見てくれる人がいると、精神的に楽だよね
たしかに、自分以外に子どもをちゃんと見てくれる人がいると、精神的にすっごく楽っていうのもわかるんです。
我が家の場合だと、夫が見てくれる土日の疲労感は、平日のそれと全然違うし。
甥っ子姪っ子と遊んでいると、その子の親からは「ああ、見てくれる人がいて楽だわぁ」って言われるしな。
気兼ねなくスマホを触れるのって、やっぱりそういう時だしね。
親と子だけでは「間が持てない」?
ただ、そうやって、だいたい5人一緒で外出したり旅行に行ったり、季節のイベントをしたり・・・ってやっているのは、私にとっては少々違和感で。
なんというか、私だったら「親戚付き合いは時々でよくて、『家族だけの時間』を大事にしたいな」って思うんですよね。
「家族」というのは、今は自分と夫と子どもとの3人。
家族3人の、三角形のバランスと、親戚が入って五角形になったり七角形になったりしたときのバランスって、やっぱりちょっと違うと思う。
私はそう思うから、はあちゅうさんの状況を見ていると、ムクムクと妄想が膨らんできます。
「もう、家族3人だと間が持てないんじゃないだろうか?」なんて。
たとえば、夫婦と子だけだとすぐに険悪な雰囲気になりがちだけど、そこに祖父母や義理の兄弟姉妹がいれば、多少のよそ行きの顔になるから平和でいられるとか。
もしかしたら、「今日の夕飯は自宅で3人でパーティーしよう」だと、「オレ、家で飯食わないからいいや」って言われちゃうから、「実家に行くから予定空けておいて」みたいにしているとか。
・・・なーんて考えてツイートしたのですが、「イベントの飾りつけや食事を用意するのが面倒臭かったり、出来ないだけでは?」というご意見の方が多くあり、私は考えすぎなのかもしれないなぁ・・・とも思ったけど。
私が今「家族」と言ったら
そんな感じで、色々と想像や妄想を膨らませながら、はあちゅうさんの側で暗躍する黒子達と、彼女らがいつもいる理由のことを考えていたのですが、考えながら気付いたことがあります。
それは、私が今「家族」と言ったら、私と、夫と、子どもの3人だと強く思っているということ。
もちろん、実家の父母やきょうだいも「家族」なんだけど、それは広い意味での家族で、今の私にとっては「巣立った後の、昔いたことのあった家」って感じなんですよね。
だから、常に一緒にいて、常に子どもの世話をしてもらおうなんて思わないし、ジジババは時々来て子どもを可愛がってくれるだけでOKだと思っている(あと、お金を置いていってくれるとさらに良い)。
なんだろうな?
この感覚は、元からジジババがいない「核家族」で育ってきたからなのかな?
それとも、「今は」子育てについても心の余裕を持てているからなのかな?
「人の振り見て我が振り直せ」じゃないけど、他人のことを考えると、自分のことを考えることに返ってくる・・・
「ウォッチャー、実に面白い」と私の中の湯川学*1がつぶやくのでした。
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*1:ガリレオで福山雅治が演じた物理学者