ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

リアリティーショーは「ショー」なんだけどな

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

バチェラー最終回が気になる今日この頃。

そんな中、バチェラー出演者の方が、運営とのトラブルについて暴露しているのを見てしまいました。

 

 

今、裏側を暴露しちゃうんですか?

私が最初に思ったのは、「今、それ暴露するの!?」でした。

次々と新しいエピソードが配信されて、視聴者は「続きが気になるうぅ」ってなっている、今?

どういう気持ちで観ていいのか、わからなくなるんですけど・・・

でも、終わった後に暴露しても、影響は小さいからな、暴露して問題提起して話題にするなら今って感じなのかもな。

 

・・・というか、そういう倫理的に問題のある体制で制作している番組を観るということが、モラルがない視聴者ってことになるから、私の「今言うなよ」的な発言は人としてよろしくないのか?

じゃあ、そんな番組観ない方がいいし、作らない方がいいし、出ない方がいいのではないだろうか・・・?

 

事の発端はこじるり(小島瑠璃子)さんの「バチェラーに出てる女の人、ひとりも太ってる人いないわぁ。えらいなぁ」っていう発言ですよね。

それに社会学者の松本妃奈子さんがスタッフに痩せろと強要されたとかぶせてきて・・・ああ、こじるり、なんて余計なことを言ったのだろうか!

・・・とか書くと、「じゃあ、私は暴露して明るみに出なければよかったと思っているのか?問題は発生しているのに?」と自問自答してしまう。

 

 

キラキラした異世界として楽しみたかった

私は一視聴者として、「異世界」として番組を眺めてボケーっとしていたかったんですよね。

スタイルの良い女の子たちが沢山いて、毎日シャンパン飲んで赤ワイン飲んで、綺麗な衣装を身にまとい、水着でキャッキャして、キラキラと光り輝く、自分は一生やらないようなデートをする・・・異世界として楽しみたかった。

 

異世界の中身がどうなっているのか、カメラには映っていない部分でどういうやりとりがあるのか・・・そんな「現実」っぽいことは考えずに、ただボケーっと見ていたかった。

そういう意味では、私はバチェラーを「リアリティーショー」の「ショー」の部分として見ていた気がする。

バチェラーって、シーンごとにソロでのインタビューがあって、この時どう思ったか?みたいなのを本人が喋るシーンがあるじゃないですか。

あれでどうして、「演出がない」と思えるのか・・・私にはむしろそっちの方が謎。

 

だから、松本さんの暴露にも、例えば宮川亜門さんや蜷川幸雄さんみたいな、ちょっと癖のある演出家さんの舞台に出ている役者が、その人達に対して文句を言っている、みたいな気分になったのだ。

だって、彼らの舞台稽古ではキツイこと言われても「その言い方がおかしい」ってならないでしょう?

彼らの描く舞台の世界観に合わせられないなら自らが去るべき、って感じじゃないの?と思ってしまったんだな、多分。

 

 

「リアリティーショー」の捉え方

ただ、今問題になっている、リアリティーショーへの出演者の誹謗中傷なんかを見ていると、私のように「舞台みたいなもんだろ」と思って見ている人って、決して多くはないのかもしれないなぁとも思います。

映っているもの、放送されているものが起こったことの全てで、その人が完全に「素」でやっていると思っている人が、ある程度いるんだろうな。

裏側で「面白く見せるための演出」はあるに決まっているのに・・・

 

そういう意味で、「リアリティーショー」を「ショー」として見られない人は見るべきじゃないし、「ショーの一員」として自らを投じられる人しか出るべきではないのではないか、というのが私の意見なんだろうな。

ただ、この「ショーの一員として・・・」は、実際にやってみたら想像以上にキツかったっていうのもあるとは思うけど。

 

 

出演しているのに傍観者ポジションじゃない?

私が松本さんにイマイチ共感できないのが、「何が目的でバチェラーに出ているのか」が見えていなかったところというのもあるかもしれない。

ネットでは「ローズもらえないでしょう乾杯に参加しなかったから、いい人」「女性の涙をぬぐってあげていたから、いい人」「女性の○○に拍手してあげていたから、いい人」とか、彼女の性格がいかにいい人なのかがよく書かれていたんだけど、私は彼女の人間として素晴らしいところはわかるんだけど、だからって「なんでバチェラーに出た?」は良くわからない。

他の出演者が「恋愛する」「好きになる」「結婚を目指す」っていうので闘志をメラメラ燃やしているところ、バチェラーというゲームの真ん中にいながら、人間模様を分析して、他の子たちの出方を観察して、今後の流れを計算しているようにしか見えなくて、そこが違和感だったんだよな。

真ん中にいるのに傍観者、みたいな感じが。

恋をしているわけでもなく、勝ち上がるために何か努力をするでもなく、なんとなく「可もなく不可もなく」で残り続けて女子たちと仲良くしている、みたいな。

・・・それが運営の悪意ある編集の成果だったと言われたら、そうなのかもしれないけれども。

 

 

リアリティーショーは「ショー」なんだけどな

そんなこんなで、私にとっては完全に「水を差されて残念でたまりません」なバチェラー鑑賞なのですが、とはいえ次回が最終回ですからね。

最終回が終わってアフタートークを見て、またこの辺の考え方は変わるかもしれない。

けれども、「ショー」と「リアル」の区別がつかずに暴走する人はゼロにはならないだろうから、リアリティーショーの在り方っていうのは、これからも問題になるだろう。

 

「こんな叩かれ方するなら、もうバチェラー止める」っていうのは悲しいんだけどな。

 

 

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