こんにちは、ドクダミ淑子です。
昨日、とても幸せなシーンを見ました。
忘れたくないので、今回はその話を。
土曜の朝、散歩に行く
「お散歩いく。淑子も行く?」
土曜の朝に、夫がこう言い出しました。
途中でリバース(つまりゲロ)をした朝食を終え、シャワーを浴びさせた後の保湿(逃げる)・着替え(暴れる)・掃除を終えて一息ついたところで、夫からの一言。
「お散歩」というのは我が家では言うまでもなく、「子どもと一緒に行く散歩」ということです。
夫と子どもは2人で出かけることもあるので、別に私がいなくても大丈夫だし・・・と、真面目な私はまだ終わっていない洗濯物と食器洗いのことをちらりと考えてしまいましたが、夫の提案に乗ることにしました。
「私も行く」
せっかくの土曜日だし、後処理のことなんて、帰ってきてから考えればいいや。
「夫が見ててくれる間に家事ができる」というのは本当に心強い。
いつものセットが入ったバッグを持って、子どもをベビーカーに乗せる夫の後ろ姿を追いかけました。
子どものことを話しながら、歩く
天気はあいにくの曇り空。
「もしかしたら雨が降るかもね」なんて言いながら、公園に向かいます。
前からやってくる、ベビーカーを押すママと、パパに抱っこされる子どもの3人家族とすれ違いました。
「ベビーカーに乗るのを拒否したんだよね、きっと」と夫。
イヤイヤ期ってそういうこともあるんだろうな・・・
子どもはベビーカーに付けられたオモチャに夢中になっています。
もう何ヶ月、何回このおもちゃで遊んでいるのだろう?
子どもって飽きないんだよな、不思議だよな・・・
歩きながら出てくるのは、子どもの話ばかり。
昨日の夜はどうだったとか、今後こういう遊びをしたいとか、今度こういうグッズを買いたいとか・・・
ああ、改めてだけど、パパとママになったんだなぁ・・・なんてしみじみしてしまう。
脳内フィルターがかかった
そして、目的地の少し大きい公園につきました。
土曜の午前の公園は、幼児とその保護者がたくさん。
滑り台で遊ぶ子、砂場で遊ぶ子、芝生を走り回る子、フリスビーをする子・・・それぞれが好きな遊びをしています。
ママと子どもの家族も、パパと子どもの家族もいる。
もう少しして復職したら、「家事やってるから、パパと公園行ってきて~!」ってなるんだろうな、きっと。
私たちはベビーカーで一周して帰ろうとしましたが、ふと思い立って夫に提案してみました。
「せっかくだし、抱っこしてあの丘の上に行ってみたら?」
「もう少し大きくなったら芝生の上に座らせる」と言っていたけれども、抱っこしてちょっと高いところに行ってみるのはどうだろうか?
夫は頷き、ベビーカーから子どもを降ろして、高さ1.5メートルくらい、大人にとってはなんでもないようなちょっとした丘の上に登っていきました。
その後の光景が、私にはものすごくキラキラして見えたんですね。
高い丘の上で、子どもを持ち上げて「高い高い~」とする夫。
子どもはニコニコの笑顔で、パパを見つめています。
そして、くるくると回る二人。
私の脳内には、時々アニメで見る、あの光景が見えていました。
「うふふふふ~」「あははは~」と笑いながら野原らしきところを追いかけっこするカップル、背景にはキラキラとしたエフェクトがかかり、ちょっとスローモーションになっている・・・あの光景が。
雨が降りそうな空は青空に見え、秋の少しくすんだ芝生も青々として見えるし、公園に他の人達もいるのに世界で二人だけしかいないように見える。
脳内フィルターがかかるって、本当にあるんですね、びっくりしました。
幸せが見える距離
私の好きな『いつかティファニーで朝食を』っていうマンガに、2人の子供のいる栞がこんなことを言うシーンがあります。
「少し離れて家族を見た時に幸せを感じる」と。
「幸せでしょ?」「幸せ、なのかな?」と会話する中で、家族が海ではしゃいでいるのを遠目で見た時に幸せを感じる、みたいなことを言っていたんですね。
ちょっとうろ覚えですけど。
最近ちょっと「疲れた」が「幸せ」を上回っていたから、改めてそのシーンを思い出したのです。
うん、少しだけ見えなくなっていたけど、やっぱり幸せだな。
でも、幸せだと思えるようにいるためには、夫がいてくれた方がいいな、私は。
これからも、「大変だ」「疲れた」って思うことはたくさんあると思うけど、その度に脳内のあのシーンを思い出せたらいいな。
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