こんにちは、ドクダミ淑子です。
ここでもちょっと書いたのですが、私は産後の入院中、1人でテレビもない個室のベッドの上で過ごす時間が3日ほどありました。
私は一体何をしているんだろう?と疑問に思いながらも、「いやいや、回復に努めているのだ」とこのゴロゴロを肯定しつつ・・・「もっと赤ちゃんのそばにいたいな」と思っていました。
でも、その時は様々な事情(私の安静&高熱、子の黄疸治療)でそばにいられなかった。
このモヤモヤを、自分で打ち消すために、こう念じました。
「まぁ、いいや。これから一生そばにいるんだから」
念じた後から、じわじわとその言葉が重さが私の心の中に浸透してきました。
そうか・・・「一生」か。
一生そばにいたい
「一生そばにいる」
もちろん、 その言葉が必ずしも正しくないということは、分かっています。
残念ながら親より先に死んでしまう子どもも、います。
でも、親としては、それは「ない」ものだと思っていきたいし、またそうならないように、健康面や安全面に最大限の配慮と努力をしていかなければいけない。
親元を離れる時も、いつか来るでしょう。
物理的に「そばにいる」わけではないけれども、でも一生「あなたの味方だよ」という意味で、精神的な面では「そばにいたい」。
少なくとも、親元を離れるまでの約20年はそばにいるつもりだし、離れてからも私が死ぬまで、いや死んでからも元気でいてほしい。
「一生そばにいる」ではなく、「一生そばにいたい」だな、正しくは。
出産は奇跡だと改めて思う
Twitterを徘徊していると「無事に生まれてくることが奇跡」というツイートが流れてきました。
確かにその通り。
私のケースだと、医療がなければ、子どもは死んでいただろうし、私も死んでいただろう。
改めて、出産は命がけなんだな、と思いました。
「何十人かに1人は、死産」という言葉もズンとのしかかってきました。
私の入院していた部屋は分娩室の目の前。
ここに入っていく人の何十人に1人かは、約40週お腹の中で育てた子の声を聞くことができないのか・・・と思うと、それだけで涙が出てきます。
「分娩中です」というプレートがかかるたびに、「無事に生まれてきて」と祈り、オギャアという元気な声が聞こえるたびに、ホッと胸をなでおろしたのでした。
子の成長をテーマにしたCMで泣ける
第一生命のCM(行ってきますのやつ)とか、トヨタのCM(車で送り迎えするやつ)とか、STAND BY MEドラえもん2の主題歌のPV(妊娠~出産ダイジェスト)とか、こういった「お涙頂戴」な動画を見て、まんまとお涙提供してしまう、今日この頃。
「一生そばにいる」も、菅田将暉くんの歌から思い浮かんだ言葉だな。
第一生命もトヨタも、可愛かった時期から反抗期を経て、巣立って新しい家族と共に帰ってくる・・・って仕立てで、似たり寄ったりといったらそうなんだけど、やっぱりどちらも泣ける。
私も、反抗期ってものがわりと長らくあって、父への振るまいがひどかったから、その分も余計に、泣ける。
子どもの成長と親の関わりに涙してしまうーーこれも1つの、親になった心の変化かもしれない。
そばにいる生活はしばらく続く
今は、子どもと四六時中一緒の生活で、当たり前のようにそばにいるんだけど、まだそれにうんざりすることはない。
ミルク吐く→泣く→ミルク飲む→泣く→ウンチ出る→オムツ換える→泣くのループに疲れることはあるけど。
これも、睡眠不足にならないようにとか、ちょっとした買い物に1人で行けたりする環境を夫が作ってくれているからかもしれないな。
そんなこんなで、一生モノの命を噛み締めながら、私は今日もオムツを換えるのです。
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