こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、こんなツイートをしていました。
私ほど、はあちゅうさんのことを熱烈にウォッチしていれば、こういうメッセージを(勝手に)読み取ります。
- 私は家事や育児に適性がないし、やりがいを感じていない
- だから、私の家事や育児について「愛情がない」と言って追い込まないでほしい
- 私は愛がないわけじゃない
だいたい、はあちゅうさんが一般論で語り出す場合って、一般論に見せかけた自分語りの自分防衛団からの声明だと思っています。
ちなみにこのツイートには、「エクセルが仕事で必要なら、適性とかやりがいとか関係なしにやらなければいけない」という大変ごもっともなツッコミが多数ありました。
さて、ではこの発言はどんなことが引き金になって出てきたのかな?と探してみると、「これかもしれないな」と思う出来事が出てきました。
「子どもがかわいそう」に過剰反応?
それは、インスタで開催された公開ねんトレ(ねんねトレーニングの略)コンサルでの内容。
私は録画で見たのですが、はあちゅうさん、どんどん不機嫌になっていくんですね。
その引き金になったのは、この言葉じゃないかと思ったのです。
「ちゃんと寝られない子どもがかわいそう」
はあちゅうさんのお子さんは、1歳8ヶ月で夜泣き・早朝覚醒・そしてイヤイヤ期入りかけ?・癇癪(かんしゃく)となかなか大変な時期。
そういうこともあって、ねんトレのコンサルを受けたようです。
その中で、ねんトレの先生が「ちゃんと寝られない方が子どもがかわいそう(だから、ちゃんと寝られるように、最初は泣くこともあるけどトレーニングしよう)」と何度か言っていたのですね。
その言葉や「動画を見せるのはやめた方がいい」「旦那さんにも協力してもらって」などなどで、みるみるうちに笑顔が消え、相槌が消え、やたら飲み物を飲みだす・・・わかりやすく不機嫌になったんですよね。
もしかしたら眠かったのかもしれないけど。
あと、余計なお世話だけど、30代は「すっぴん風」とか不要だからね!
風呂上がりでも22時~のライブでもばっちりメイクした方がいいよ!
あくまでも私の妄想だけど、「子どもがかわいそう」って言われて、この言葉を悪いように変換してしまったんじゃないかと思ったのです。
たとえば、「ちゃんと寝かせられない子どもの親はダメだ」とか。
これは妄想だけど、「愛情をもって取り組んだら、セルフねんねできました」みたいなコメントがあって、それを「セルフねんねさせられないあなたは愛情がない」と変換してしまったかもしれない。
とにかく、「子どもがかわいそう」に過剰反応しているように、私には見えた。
できないをできないのまま放置できない
冒頭のツイートの話に戻って。
育児・介護・家事って、「できないから仕方ない。できなくても責めないで」って言って放置できる問題ではないんですよね。
だれかにケアしてもらわないと生きていけない、自分よりも弱い存在がそこにいるから。
だから時に、苦しくなる。
でも、苦しい中でも、適性がなくても、やりがいなんて感じられなくても、やらなきゃいけない。
やろうって思える理由・・・それは愛なんだ。
愛しているから、投げ出すことはできない。
別に自分でやらなくても、介護だったらヘルパーさんや施設などもあるし、育児も家事も外注だってあるけど、「やる」という点だけは守らなければいけない。
「やらなければいけない」ということに、今もがき苦しんでいる人や、過去もがき苦しんだ経験がある人が、「いや、私それ適性がなくて~やりがいが感じられなくて~無理なんで~できませんっ!」って放置している人を見たら、「愛がないからそういうことを言うんだ」と言いたくなるかもしれない。
もう、それは「言わせておけよ」としか言えないな。
彼らには彼らの苦労した経験があり、その経験に基づいて発言しているんだから。
責められていると思うような精神状態なら
「子どもがかわいそう」
私も少し前、そう言われて落ち込んだことがありました。
それは実家時代、泣いている子をあやしながら、私の母がよく言ってたんですよね。
「こんなに小さいのに、泣いていてかわいそう」と。
言われるたびに、自分が責められている気がして、「じゃあどうすればいいんだよ!」とキレそうになりましたが、今思い返すと産後のアレコレで気が立っていたのでしょう。
そして、今になって思うのです。
「かわいそう」って言ってくる人って、他人事なんだよな、と。
他人事だから、「かわいそう」で終わらせられる。
自分事だったら、「じゃあどうすればいいか?」という目線に立てるし、具体的な行動をする。
だから、見て「かわいそう」って言うだけの人なんて、放っておけばいいと思う。
もしも、「放っておけ」ができなくて、責められているように感じる精神状態なら、ネットなんて見ない方がいい。
特に、どこからともなく言葉がポーンと飛んでくるようなTwitterみたいなSNSなんて、一番やっちゃだめだ。
また別の人が、「育児で忙しいのによくTwitterできますねとか言うな、ギリギリの精神状態でTwitterやっている限界ママだっている」みたいなことを書いていたけれども、そんなギリギリの状態でTwitterなんてやっちゃいけない、むしろそれは自分から精神崩壊させに行っているぞ、と思う。
「かわいそう」に過剰反応してしまう時、責められているように感じる時、言われてもいない言葉を勝手に付け足してしまう時は、疲れている時。
そういう時は、外野の声が聞こえない環境に自分を持っていくことが大事だと思うのです。
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