ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

書くことがなくなる問題について

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

 Twitterのタイムラインで、こちらのブログが流れてきました。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

古参のブロガーの方々が、「書くことがなくなった」と言っている(思っている)ことについて。

「書くことがなくなった」ということに薄々気づいていること、昔から知っているブロガーや自分自身も変わっていっていること、夢中で書いていたあの頃のことを考えて、自分はまだ書きたいという気持ちに気づいたこと・・・

 

・・・ああ、なんだか同じようなことを、私も思うことがある。

たった4年しかブログを書いていないけれども。

 

 

昔と同じことを書いてしまう問題

私の場合、「書くことがなくなった」ではなく、正確には、「以前書いたことと同じようなことを書くことが増えた」です。

ある日、ふと考え付いたことがあって、それをブログに書いていると、書いているうちに「あれ?」となるのです。

「あれ?この話、前に書いたことがある気がする・・・」

そして過去のブログをそれっぽいワードで検索すると、出てくる。

 

もしくは、書き終わって最後の「こちらもどうぞ」に貼る過去記事を探している時に、数年前、時には1年前くらいにほぼ同じことを書いているのを発見するのです。

そういう時はどうするか?

「まぁ、もう書いちゃったしな」と頭を掻きながら、全く違う内容の記事を貼っておくんですけど。

「書いた本人ですら忘れているんだから、読者の方だってきっと忘れているだろう」とか言い訳しながら。

 

 

考えの根幹がブレていないから

数年前と同じことを書いてしまう・・・私の記憶力のなさは置いておきつつこの問題をポジティブに考えると、私の考えがブレていないことの表れだと思います。

 

考えが変わらない・・・これ自体は別に悪くない、むしろ良いことだと思っています。

数年単位で考え方の根幹がコロコロ変わる人がいるとしたら、そっちの方が私は変だと思うから。

特に大人になってから、ある時考え方が180°変わって、またある時に90°くらい変わって、また180°変わる人がいたら、それ一周以上回っているけど!?ってなる。

 

今ちょうど、誹謗中傷を止める社団法人を立ち上げた人が5年前に子役に対して「死ね」と書いていたことや、アドバイザーが4年前までに「たった20回ほど」童貞ディスをしていたなんてことが話題になっているけど、そっちの方が「いやいや、言っていること変わりすぎ・・・っていうか、本当は口ではそう言っているけど、考え方は変わってないのでは?」って思う。

 

大きな事件でも起こらない限り、考え方ってものは変わらない、と私は思う。

 

冒頭の古参ブロガーの方も、きっと考え方がブレない方々だろう。

何年経っても、きっと同じことを考えている。

だから、「書くことがなくなった」と書くような状態になってしまう・・・そんな気がする。

 

 

考え方がコロコロ変わる人は

時々、こんな言葉も目にします。

「ワタクシは柔軟な思考を持ち合わせておりますので、考え方がよく変わります。どんどん時代に合わせてアップデートされていくワタクシ、素晴らしい」

たしかにそういう見方もあるけれども、私はそれってそもそも「自分の意見や考え方が、ない」ってことなんじゃないの?と思う。

本で読んだこと、誰かに言われたことをそのまま「自分の意見」のようにしてしまう。

でも、きちんと噛まずに丸飲みしたそれは、身体に吸収されずにそのまま排出されてしまうんだ。

だから、常に新しい考え方を探し続けている。

 

・・・私には、そう見える。

 

 

時代に合わせて変えながら

じゃあ私は常に同じことばかり考えて、同じようなことを書き続けるのか?というと、それはまた違って。

 

考えていることは一緒だけど、その考えを引き出すまでのネタは違うんですよね。

 

たとえるなら、てりたま食べてどこがどう美味しかったのかと書いたら、次はビックマック食べてどこがどう美味しかったのかを書いて・・・みたいな感じ。

最終的には自分の味覚や食の好みが根幹にあるのだけれども、そこにたどり着くまでの入口部分が毎回違う・・・みたいに。

そりゃ、ずっとフィレオフィッシュばかり食べ続けて感想を書き続ければ、いつも同じような内容になるわけで。

そうならないように、話題は常に変えていくことで、書き続けることができるのだと思う。

 

私の場合、「ネタ」はその時に話題になっていることだったり、本やマンガやテレビ番組だったり、日常生活や仕事で起こったことを扱っている。

だから結論は同じようなことになったりするけど、入口は、だいたい新しい。

 

あとは、最近子育てをしているから、子育ての話は新たに考えるきっかけにはなっていると思う。

  

 

続ける意味を考えだしたら、終わりの始まりなのだ

ただ、そもそもの話、「そこまでして書き続けたいのか?」と思うこともある。

別に、ブログをどうしても続けたくて、続ける方法を考えているという話ではない。

続けるのも止めるのも自由って状況で、昔は書きたいことがたくさんあったから続けていっていたけれども、今は書きたいことがない・・・だったら続ける意味ないよね?って話なのだろう。

 

冒頭の方々なんかは私よりももっと長く書いているし、きっとどんな時事ネタが出てきたとしても、「これ、前に書いたことと同じような件だよね」ってなるのだろう。

 

このブログを書く意味はあるのか?

私がこの件について意見を述べることで何になるのか?

そもそも、何を書きたいのか?

 

・・・こんなことを考え始めたら、きっと終わりの始まりなのだろうなと思う。

 

 

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