こんにちは、ドクダミ淑子です。
「絆!」「団結!」「友情!」みたいなのが幼少期大嫌いだったから、
こんなツイートが目に入ってきて、ふと思い出したことがあります。
ああ、私ってやりたくないことから逃げるために知恵を絞る子だったな・・・と。
応援合戦をやりたくない
運動会って、なぜか「応援団」「応援合戦」みたいなのがあったじゃないですか?
私、あれが大嫌いだったんですね。
なぜ、面白くもないことを声を張り上げて言わなければいけないのか。
「フレー!フレー!あ・か・ぐ・み!」
「フレッ!フレッ!あかぐみ!フレッ!フレッ!あかぐみィー!」
「頑張れー!頑張れー!し・ろ・ぐ・み!」
「頑張れ!頑張れ!しろぐみ!頑張れ!頑張れ!しろぐみィー!」
なぜ、赤組が白組の応援までせねばならないのか。
お互いが自陣の応援だけしていれば時間が半分で済むのに。
中学生になると、学ランを着てハチマキを巻いた応援団がかっこいいみたいな風潮になり、さらに疑問でした。
・・・学ラン、いつも着てるし、体育の時はハチマキ締めてるじゃん。
ちょっとヤンキーっぽくてかっこいい?何が?
運動会自体は嫌いじゃないけど、応援団と応援合戦がどうも気に入らない。
何とか回避する方法はないだろうか?
そう思った小学生の私は・・・応援団&応援合戦回避に向けて、放送委員会になりました。
常日頃から放送委員をやり、「放送のプロ」みたいになって、運動会でも放送係を勝ち取ってやるぜ!
そしてその野望は、すんなり実現できました。
私の仕事は、「次は、応援合戦です。まずは赤組から、お願いします」とアナウンスをすることになりました。
掃除をしたくない
あとはもう1つ。
掃除も嫌いでした。
小学校の時は、1年~6年までで分担場所を縦割りするスタイルで朝と夕方と1日2回の掃除があったのですが、これもなんとか回避したいと思って、知恵を絞りました。
配属される人数が多くて紛れられる場所で、「○○準備室」みたいな掃除されない小部屋が近くにあり、見回りが細かくない先生の分担場所で・・・と考えて立候補する場所を決め、うまくいった時期は掃除時間中はずっとその小部屋に隠れたりしていました。
何していたんだろう、小学生の私よ・・・
ちなみに今も掃除は嫌いなので、ルンバに頼る生活を続けています。
どうしても携帯が欲しかった
これは「やりたくないこと」じゃなくて「やりたいこと」だけど、中学生の時、どうしても携帯電話が欲しかった私は、親に隠れて携帯電話を持っていました。
当時は、おもちゃ屋さんで買えたんですよね、プリペイド携帯が。
それも、すごく調べました。
どうやったら買えるのか? プリペイドカードはどうやって使うのか? 運用費はどのくらいかかるか? お小遣いの中でやりくりできるのか? メールは1通いくらで電話は何秒でいくらになるのか?
・・・内容は忘れましたが、それで携帯電話を勝手に持って、中3の後半で受験が終わってから携帯電話を買ってもらうまでこっそり使っていました。
ちゃんと隠し通せて、親にはバレていなかったと思う。
自分が親になった今、改めて思います。
「子供は大人が思う以上にずる賢いから注意しなければならない」と。
やりたくないことをやらないために
「やりたくない」を「やりたくありません」と言うのは簡単だけど、それって反発されることも多い。
「なんでやりたくないの?」とか聞かれて、結果的には「やろう」の方向に持っていかれる。
子供のころからそれを理解していたのか、していなかったのか、今となってはわかりませんが、幼少期の私は「やりたくないと言わずに回避する」という方法を取っていたようです。
ああ、嫌な子供・・・
思うに、反対されるのが面倒臭かったんですよね。
親の話、長いし。
怒るとさらに長くなるし。
2時間とか怒られたくないし。
長時間怒られると、昔のことも引っ張りだされてああだこうだ言われて、終わらないし。
今だって、誰かと何かで正面衝突することは避けがち。
面倒だから。
だから、私が正面衝突を覚悟して発言している時は、よっぽどのことがあるんだと思います。
話は戻って。
「やりたくないことをやらないために知恵を絞る」っていうのは結構大事だなと思う。
「どうしたらそれをやらずに済むか」を考えると、実はいろいろな手段が出てくるし、それを持っていたほうが、ただ「やりたくありません」と言うよりも相手を納得させやすい。
そのスキルに幼少期から磨きをかけていたっていうのは、今も何らかで役立っているかもしれないな。
今週のお題「やる気が出ない」
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