ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「つらい合戦」は、やってはいけない

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

Twitterを見ていると、色々な人がいて、色々な声があります。

 

それを見ていて思ったことがあります。

 

 

「私はつらい」の声に「私もつらい」を追加する

今回のブログのきっかけになったのは、「シングルマザーの辛さ」を書いているツイートでした。

そこにかぶせて、シングルファザーの人がコメントをしているのを見たのです。

「シングルマザーはつらいって言うけど、シングルファザーもつらい。○○だし、××だし・・・」

 

それを見た私は、いつものようにモヤモヤしました。

 

なんだろう?

きっと、両方ともつらいのだろう。

私はシングルマザーでもシングルファザーでもないから、彼ら・彼女らのつらさはどんなに考えても、本当の意味ではわからない。

実際に体験していないから。

 

でも、シングルファザーの方は、つらいと言っているシングルマザーにかぶせて、何をどうしたかったのだろう?

同じひとり親同士としても、男性と女性が違うからきっとここでも完全に分かり合えないのだろう。

実際に、ファザーの方はマザーに「私はあなたと違うところがつらい」と書いているんだから。

 

別に、「つらい」と声を上げることがダメなのではないと思う。

つらいことは「つらい」と言ったほうがいいし、そのためにネット(SNS)は存在するとさえ思う。

リアルでは言えないことを、吐き出す場としてのSNS。

 

じゃあ、私はなぜモヤモヤしているのか?

わかった、それは・・・誰かの「つらい」に自分の「つらい」を勝手に乗せているからだ。

そして、「私の方がもっとつらい」とか「私だってつらい」と、主語を「私」に引っ張ってきているからだ。

 

 

誰かの「つらい」は、ただ受け止めるだけ

私は、誰かが「つらい」と言っていたら、その時にすることって、「そうか、つらいんだね」と言うしかないと思うのです。

 

「あなたもつらいかもしれないけれども、私もつらい」って言われてどう思うか?

「知らんがな」ですよね。

「仮に私よりもあなたの方がつらいからと言って、私のつらさが軽減されるんですか?」「あなたよりつらくないから、我慢しろと?」って言いたくなりませんか?

 

また、「わかります!私もこれこれこういう出来事があって、こういう風につらかったんです!あなたと同じなんです!」っていうのもよく見るけど、それって実は「つらさの横取り」な気がする。

「あなたと同じ」って書いているけれども、それは同じではない。

「あなたと似ている(けど非なる)私のつらさ」を上書きしているだけなのです。

それを読んで、最初に「つらい」と言った人が救われるかというと・・・たしかに救われるかもしれないですね。

「こんなつらい体験をしたのは自分だけじゃないんだ」と思って、元気が出るかもしれない。

でも、そうじゃない場合もあるじゃないか。

「私のつらさを吐き出したいだけなのに、それに便乗して自分のつらさをぶつけてこられても、それはそれでつらい」ってなりませんかね?

本気でつらい気持ちの時は、なおさらそう感じそうなのですが。

 

 

だから私は、誰かの「つらい」に自分の「つらい」を乗せることはしなくて良いと思います。

だれかが「つらい」と言っているなら、ただそれは受け止めるだけでいい。

 

 

「つらい合戦」はキリがない

「私の方がつらい」「いやオレの方が」という、「つらい合戦」ってキリがないんですよ。

 

「専業主婦はつらい」「会社員はつらい」「妻はつらい」「夫はつらい」「独身はつらい」「男はつらい」「女はつらい」・・・その「つらい」は全部ジャンルが違うつらさなので、大小も優劣もつけられない。

 

誰かに乗っかって「つらい合戦」をする意味はない。

あなたがつらいと思うなら、誰かの言葉に乗っかるのではなく、自分のところで発信すればいいと思うのです。

 

 

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