ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

ととのえるために、書く


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

私は、毎日メイクをします。

近所の散歩しかしない日でも、雨が降って散歩すらしない日でも、買い物もしなくても平気で1日中家から出ない可能性が高い日でも。

といっても、メイクにかける時間は10分くらい。

朝は洗顔しないで洗顔+スキンケアはシートマスク1枚だけだし、BBクリームとアイブロウ、アイシャドウをささっと塗っておしまい。

マスカラはしないし、チークも付けない。

そんな感じの簡単メイクですが、毎日欠かさずしています。

 

なぜ、メイクをするのか?

理由は3つあります。

1つ目は、「出かけようと思った時にいつでもサッと出かけられるように、常にメイクをしておきたい」です。

急いで出かけた時に「ああ、もうメイクしていない~すっぴん眉なしで外に出るなんて嫌だ!誰か知り合いに会ったらどうしよう・・・」なんてソワソワしたくないんですよね。

いや、別にどこの誰がすっぴんでも誰も気にしないし、私がすっぴんでもメイクしていても大して変わらないしブスはブスのままだと思うんですけれども・・・私が気になるんじゃい!

 

2つ目は、「パッと鏡を見た時に、メイクをしていたほうがテンションが上がる」から。

パッと見た時に、自分のすっぴん顔を見ると、げんなりするんですね。

ああ、眉毛ない・・・って。

もともと薄い眉毛を若気の至りでさらに少なくしちゃったものだから、眉毛は描かないとほぼないのです。

目の印象って、眉毛がかなり大事だなぁと自分のすっぴんを見ると思う。

「テンションが上がる」というよりも、「下がらない」の方が正しいかもしれないけど、「ああ今日も私、気合い入れてるな」って思うのは、やっぱりメイクしている顔を見た時の方が多い。

 

そして、3つ目は、「毎日メイクをする方が、いざ本気でメイクをする時に面倒臭くないし、手がすぐ動く」から。

毎日のメイクが練習・トレーニングみたいなものの感覚なんですね。

そして、メイクをすることが自分のルーティンになり、生活の一部になり、それをすることで安心するようになる。

 

 

メイクも、書くこともルーティンの1つ 

なぜ突然メイクについての話を語り始めたかというと、改めて「書くこと」について考えたからです。 

なぜ、私はブログを書いているのだろう?

 

そう考えた時に、メイクのことが頭に浮かんだんですね。

メイクと同じく、毎日決めて続けることで、「これを伝えたい」「これを書きたい」と思った時にパッと書けるようになっている。

常に書き続けることで、脳みそが「いつでも書く準備できてまっせ」な状態になっている。

書くこともメイクも「特別なこと」ではなく、当たり前のことにしたい・・・そんな意識があるのかもしれないなと思ったのです。

 

 

ブログが続いている話

このブログは2017年7月から始め、1日1回更新で1400日以上続いています。

昔は時々更新が間に合わなくて、2日前くらいの日付の更新をしたりしてごまかしていたけど。

 

始めた時は、まさかここまで続くとは思っていませんでした。 

「毎日書くなんて、ネタに困ってしまうかもしれない」なんて思っていたのですが、全然困らない。

書きたいことは沢山あって、むしろ書く時間の確保の方が大変だったりする。

多少のネタ切れがあっても、その後書きたい事が複数バァーっと出てきて、ネタ切れは解消される。

そんな状態が続いています。

 

これも、「毎日更新」と決めてやっているからな気がします。

毎日書くと決めているからこそ、常にネタを探して、常に構成を考えている。

だから、書こうと決めた時にパッと書けるようになったのでしょう。

 

 

整えるために、書く

なぜ、そこまでして「書く」にこだわるのか?

自分の頭の中を整理して、まとめるために書いているのかもしれないと、ある方と会話をしている中で気づきました。

 

それは、夫とのちょっとしたイザコザ、在宅の仕事が終わらないまま待たされているという話でした。

イザコザと言いながら、夫ともめることはなく、自分の中で色々と考えて、夫と話すことなく自分の中で納得して完結しましたって話なんだけど、それを褒めていただいたんですね。

 

その時に、自分は自分の頭の中を整理して、考えた結果を書きながらまとめているんだということに気づいたのです。

心を、頭の中を、整えるために、私は書いているのかもしれない、と。

 

 

忘れるために、書く

頭の中を整えるために書く一方で、忘れるために書くという一面もあるかもしれません。

私は仕事では手帳にどんな小さなタスクでも、何でもかんでも書き留める派なのですが、そうするようになる前、仕事の抜け漏れが多すぎた時、上司にこう言われました。

 

「メモを取るのは覚えておくためじゃない、忘れてもいいようにするためだ」

「書くことで安心して忘れられるんだ」

 

忘れるために書く。

これは、ブログにも当てはまるかもしれません。

日々の小さな出来事を、そこで感じたことを、忘れたくないけれども、忘れてもいいようにするために、書く。

 

 

1人で完結させるために、書く

きっと私は、そんなこんなで、ブログを書き続けていると思うのですが、このブログを始める前は、この「書きたい」「言いたい」「忘れてもいいように残しておきたい」っていう気持ちはどこに行っていたのかというと・・・

 

・・・友人に全部ぶつけていました。

学校の行き帰りで、放課後のファミレスで、休みの日の誰かの家で、居酒屋で、旅先で。

中学生くらいの時は、家から長電話をしたりもしていたな。

普通に生活しているだけで、思っていることをぶつけられる誰かがいて、際限なく喋れる時間もある時期が、私にもあったのです。

でも、大人になるにつれて、「日程や時間を合わせる」っていう手間が出てきて、なかなかその「常に喋れる」「時間を気にせず話せる」っていう環境はなくなってくるのです。

 

夫はとてもよいパートナーですが、愚痴をそのまま受け止めたり受け流したりするでもなく、すぐに解決策を出してきてくれるタイプ。

きっと本人もそうやって小さな不満や不安を即解決させていくタイプなのだろう。

SNSもしないし、誰かとLINEをするそぶりもないし、在宅でずっと仕事をするのも全然平気。

飲み会も嫌いだからコロナ前でも1次会で絶対に帰ってくるから、飲んでストレス発散とかもしない。

夫はマジですごいと思う。

私はその境地までまだ行けない。

 

そんな私がそれまで対面で誰かに言って、文字通り「発散」していたことが、行き場を失ってふわふわ、というかぶよぶよと浮いている状態になっていて、それを回収して、置いた先がこのブログ・・・なのかもしれません。

 

大人になって、自分の気持ちを1人で完結させなければいけない環境になって、出てきたのがこのブログなのです。

 

 

孤独だから、書く

ここまで書いてきて、書きながら1つのことに気づきました。

 

私が文章を書いている理由、それは「孤独だから」なのかもしれない。

 

思ったことを、すぐに誰かに吐き出せないーーそれは、単純に物理的な距離もあるし、大人になったからゆえの精神的な距離もある。

熱くてドロドロしていて得体の知れないものを出来立てホヤホヤのままぶつける、ぶつけ合えるっていうのは若さでもあり、信頼の証でもあるのだ。

でも、私にはそういうことを出来るほどの若さがないし、色々なことを考え過ぎている。

 

だから、書くのだ。

 

熱さを残したいと思いながらも熱を失って真っ黒になった元・マグマの塊みたいな、冷静さを装った文章を。

 

メイクすることとは、全然違うじゃないか。

 

そう考えると、「書く」という作業をしている時は、孤独だなと改めて感じる。

自分の目の前には、スマホやPCの画面だけがあって、それを叩くことで文字が生まれ、文字は列をなして意味を持っていく。

指と機械を介しながらだけど、「私」と「文字」以外に何もない世界。

いつでもどこでも、文字と向き合うことで、私の孤独は「文字」となって、「文章」となっていく。

通勤時間帯に(時にはグリーン車に乗って)、昼休みのカフェで、夫がいない間に、子どもが寝ている間に、時には深夜に、時には明け方に・・・なぜこんな時にも書こうと思ってしまうのだろうか?と疑問に思っていたけれども、「書くこと」が私の孤独を埋めて、心のバランスを整えるからだったんだなと改めて思う。

 

 

孤独なのに、1人じゃない

さて、こんな結論にたどり着いた私なのですが。

そんなことを思いつつも、なんだかんだで「文章を書くのが楽しい」となったきっかけの1つである、#3000文字チャレンジが、今回の「書くということ」というお題で終了となるようです。

 

これに参加するようになったのは、この#3000文字チャレンジの言い出しっぺの方の影響なのですが、やってみてたくさんの「ブログ仲間」が出来たのです。

 

孤独だから書くブログが、読まれて、シェアされて、どんどん「交流の場」になっていった。

どこにいる、なんて名前だかも知らない人達がどんどん繋がっていく・・・そんな経験をさせてもらいました(し、今もその時に繋がった方とは仲良くさせていただいています)。

最近はなかなか3000文字も書けないと言い訳をして参加していなかったけど、感謝の気持ちをこめて、改めて「書くということ」を書いてみました。

 

 

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