こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、ずっと考えていました。
無人駅の来宮駅まで行きたくて、当日になって突然事前連絡なしで来てごねて駅員4人を集めさせて電動車椅子を運ばせた女性のことを。
「ここまでしないと考えてもらえない」という本人の言葉は、「そうかもしれないけれども、やり方がひどい」と思う。
「障害者は事前連絡しなければいけないのはおかしい。健常者と同じように気軽に出掛けたい」も主張としてわかるんだけど、実際にやると周りの仕事が突然増えるから、相手への負担が大きくないか?
相手に多大な負担を(予告なしに)かけて、それが当然!これぞ平等!というのは違う気がする。
だからといって、「感謝の気持ちが足りないからダメ」というのも、なんか違う。
「ありがとう」と言えば済むのかというと、それで済まされる話ではない。
私は、以前、「カフェがペンを無料で貸してくれればいい」という人が出てきた時にも書いたけど、自分の方を制度に合わせることが多い。
目的地が無人でエレベーターのない駅で大荷物の時には、エレベーターのある駅+タクシーにすることもあるし、子連れの時には時間がかかるけれどもあえて空いている各駅停車に乗ったりもする。
でも、そうするといつまでも、制度の方は変わらないんだよな。
たとえそれが不便で時代に合っていないものでも・・・
でも、今って少子高齢化じゃないですか?
障害者のことは関係なく、過剰なサービスはなくそうという流れだし、無人駅は増えている。
コスト削減を考えると、エレベーターだって維持費がかかる。
ああ、まとまらない・・・
・・・と悶々としているのですが、1つだけ、自分の経験から語りたいことがあります。
それは、「こういう親に連れられている子ども達、大変だろうな」ということ。
私には、クレーマーの親戚がいる
そんなことを思ったのは、私の親戚にクレーマーがいるからです。
小さい頃は年に2~3度くらい会う、おじさんとおばさん。
食事に行くと、「おかしいでしょ!?」「責任者呼んで」とやることが、数回に1回ありました。
「謝ってほしい」タイプのクレーマーでしたね。
それまで楽しくご飯を食べてニコニコしていたのに、何かあると急に顔を真っ赤にして怒り出して、ガミガミクレームを付け、数十分やりとりをして、気が済んだらまた元通りに戻る2人を見て、子どもながらに違和感を感じていました。
おじおば夫婦には子どもがいました。
私にとってのイトコですね。
私と私の家族は、クレームをつけている夫婦のそばにいながら、無言で、どんな顔をしていいかわからないまま、怒りの波が過ぎるのをただただ待っていました。
「確かに、されて嫌なことだったかもしれないけど、店員さんにそこまで言うの?」
「謝っているんだからもう許してあげてもいいじゃん」
「あんなに怒らなくても、店員さんがかわいそう」
「さっきまで楽しく過ごしていたのに、今は悲しい気持ちになっちゃった」
「早く終わってほしい、遊びに行きたい」
・・・待ちながら、私はそんなことばかり考えていました。
イトコは慣れたもので、諦めて時が過ぎるのをじっと待っていました。
「心ここにあらず」って顔をしながら。
待たされる子どもは何を思うのか
そう、私はこの話を読んでいて、待たされている子ども2人のことを考えてしまいました。
このやり取りを、合計1時間繰り返しました。
この間、子どもたちがずっと、一緒に立って、待っていてくれたことがありがたい。
改札に座る場所はなかったし、まさかこんなにも難航するとは。
買ったばかりのかまぼこ、お菓子が役に立ちました。
子ども達は、こうやって駅員3人に詰め寄っているお母さんを見て、どう思ったのだろうか?
「いつものこと」だから何とも思わないのか?
それとも、お母さんが駅員さんにいじめられているとか、お母さんが意地悪されていると思っているのか?
逆に、お母さんが駅員さんをいじめていると思っているのか?
お母さんは車椅子だから、優しくしてあげなければいけなかったり、やってあげるのが当然と思っているのか?
それとも・・・お母さんは「可哀想」だから、親切にしなければいけないと思っているのか?
きっと、このお母さんは、どこに行くにも、こうやって「障害者差別解消法」「バリアフリー法」を盾にして、 色々な人と押し問答しながら、障害者に優しい世界を作ろうとしているのでしょう。
子ども達は、そんなお母さんをずっと待ち続けているのです。
きっと、そんなトラブルがなくても、健常者の家族よりも時間がかかるだろうに。
そして、お母さんが子どもたちにどう説明しているのかはわかりませんが、子どもなりの「お母さんが駅員に詰め寄っていることについての解釈」をしているのでしょう。
・・・そんなことを、クレーマーの親戚のことを思い浮かべながら、想像してしまった。
クレーマーの子どもが大人になったら
障害者かどうかは別にして、クレーマーの子どもって、大人になると2パターンに分かれると思います。
自分も親と同じようなクレーマーになるのか、親の姿を見て全くクレームを入れない人になるのか。
私自身が、カフェでペンをサービスしろの人や電動車椅子の人の話に違和感を持つのは、遠い昔に親戚の姿を見て、「自分はこうはなりたくない」と思ったからなのかもしれません。
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