こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、はあちゅうさんのInstagramの投稿が、久しぶりにちょっとだけ盛り上がりました。
その内容とコメントを見ながら、色々と考えたので、今回はその話を。
落書きを諦める話
その投稿は、ざっくり書くとこんな話です。
- 息子はペンで落書きしまくる
- ペンを取り上げると怒る(だから取り上げないってこと?)
- ソファーやマットに落書きして「あ~」と言っている息子の様子
- 最初は頑張って消していたけれども、ある時突然消すのを諦めた
- 子育て終わったら家具買い替えようと思った
コメントには、こんな内容が書かれていました。
- 寛容なはあちゅうさん、大尊敬です
- 自由にさせていてすごい
- 私も叱れません
- 諦め大事ですよね、うちも諦めました
- 私なら泣いても暴れてもダメと叱ります
- 1歳でもダメなことはダメと教えていいと思う
- ペンは隠したほうが良い
- ペンが子どもの手に届くところにあるのは危ない
- 他のお家などでやらかす前にしつけた方がいい
- 壁に画用紙を貼るなど、書いていい場所とダメな場所を教えたほうがいい
- ペンを消しやすいものや、水で書くおもちゃに変えたら?
子どもが落書きするのは仕方ないと思うんだけど、はあちゅうさんは過去に、DVDプレイヤーを破壊されたとか、口紅・ワセリン・クレヨンなど色々なものでイタズラをされたという投稿を多数していて、「子どもの手に届く場所に置いておくのは事故のもと」「もしかして、インスタのネタのためにわざとやらせている?」なんてことをずっと言われ続けているんですよね。
だから、はあちゅうさんファンの私からすると、「またか・・・」って感想でした。
叱らないんじゃなくて、叱れないのではないか?
さてさて。
そんな投稿を見ていてふと思ったのです。
「もしかしてはあちゅうさんは、叱らないんじゃなくて、叱れないんじゃないか?」と。
DVDプレイヤーを破壊された時も、「ああ、壊れちゃった・・・」くらいのリアクションなんですよね。
叱り方がわかっているけれども、敢えて叱らないのではなく、そもそも叱り方が分からない、「叱る」ということがものすごく悪い事のように感じてしまうのではないか。
・・・そんな想像をしてしまったのです。
批判と誹謗中傷の区別がつかない人だから
はあちゅうさんは、ここ最近も「これ、私への誹謗中傷!開示請求して訴えてやる!」という暴挙とも思われる行動を繰り返しています。
私が把握している範囲では、「え?これで?」という言葉もあります。
たとえば、こちらのブログの内容だと、こんな言葉ですね。
b1pzppxztqutxl3.hatenablog.com
今はあちゅうさんに応援メッセージ送ってる人たちにぜひはあちゅうさんを取り巻く問題について調べてほしい。血液クレンジング、妊活詐欺と言われた経緯、童貞は病気などの発言・・・
もちろん酷い誹謗中傷には断固として反対ですよ。しかし、ご本人の今までの発信を知っても損はないでしょう。
この内容で、「妊活詐欺なんて虚偽!名誉権の侵害!!」と言ってきているのです。
その他、Amazonレビューの低評価を「誹謗中傷」と言ったり、Instagramでも批判的なことを書くと削除されたり、ちょっとした忠告にもムキになって反論したり・・・と、どうやらこの辺をつなぎ合わせると、「私のことを褒めたり認めたりしない言葉はすべて誹謗中傷!」と思っているのではないかと邪推してしまいます。
だからこそ、子どもに対しての「ダメ」「いけない」と言うことや叱ることを、すべて「誹謗中傷している」「子どもの人格を否定している」みたいな風にとらえてしまい、結果として叱れない育児をしているのではないか・・・なーんて考えてしまうのです。
家の外に出るためには、叱ることも必要だと思う
叱らない子育て、これも1つの方法としてはアリだとは思います。
子どもに「ダメ」と言わずに、やりたいことを全部やらせる・・・これで想像力が育ち、なんらかの才能が開花することもあるかもしれません。
でも、私は100%叱らないで子育てするなんて出来るのだろうか?と思ってしまいます。
子どもではなく、ペットの例で考えてみましょう。
ペットも「叱る」「しつける」ということがあります。
犬なら、「お座り」「お手」「待て」などや、散歩ではリードを引っ張ったり急に走り出さないとか、他の犬に吠えないなど、色々なしつけがありますね。
別にこれを一切しないで、可愛いがるだけで育てていくことも可能です。
家の中だけで生活するなら。
でも、家から1歩外に出ると、そんなしつけを一切していない犬は危険でしかありません。
車道に急に走っていく、他の犬に吠えて襲いかかる、リードを引っ張り飼い主を転ばせてしまう、子どもに噛みつく・・・などなど、色々なことをやらかしてしまうかもしれないからです。
それを、「自由に育てているので、しつけしていません」というのは、飼い主の責任になります。
実際にそれで刑事事件になっている例もありますからね。
犬の例を出しましたが、子どもも同じことだと思っていて。
家の中だけで可愛い可愛いで育てるのは可能です。
イタズラだって、好きにさせればいい。
でも、家の外に1歩出ると、色々なことがあるのです。
車等の危険もありますし、他の子どもとの関わり、他の方のお家や施設や、スーパーなどの店舗などなど・・・自由にやらせると事件や事故のもとになる場所はたくさんあるんですよね。
そこでも「叱らない」を貫けるかというと・・・貫けるかもしれないけれども、迷惑な話になってしまう。
お友達を叩いたり意地悪したりも、(仕方ない面もあるけれども)しつけを全くしない、叱らないでそれとなると、親の責任じゃない?って思ってしまう。
社会で生きていくためには、家族以外の人と生活するためには、やっぱりしつけをしておくこと、時にはダメなことは叱っておくことは必要だと、私は思うのです。
愛のある「叱られ」経験って大事だな
これは完全に私の妄想ですが、はあちゅうさんご自身は、あまり自分の親から叱られたことがないのではないでしょうか?
親からは大切に、そして自由奔放に育てられ、大学生でブログで顔出しして生まれて初めてネットで「ブス」と叩かれて、社会人になったら電通でパワハラを受け、その他もろもろネットを炎上させて・・・という人生。
その中で、愛を持って彼女を叱ってくれた人は、果たして存在するのでしょうか?
そういう人生だから、彼女の中で「叱る」という印象は激悪なのかもしれない。
叱る=パワハラ、炎上、人格否定、屈辱的、通報・・・みたいな。
いや、パワハラは「叱られる」じゃないよ?
児童相談所の通報は、職員さんがら「叱られる」でも「人格否定」じゃないよ?
私自身は、どう叱るか?
少し妄想に走って行ったところもありましたね。
でも、「叱らない子育て」をして、イタズラさせ放題なのは(彼女のインスタがフィクションでない限り)事実なわけで・・・
・・・自分の今後の子育てについて、深く考えさせられました。
私自身はというと、バンバン叩くし、わりと口うるさい親に育てられたので、「叱る」「しつける」にそこまでネガティブな印象はないのですが、今後子どもがワガママを言った時にどうやって立ち振る舞うか。
殴る蹴るの子育てはもう時代遅れですし、「親と同じように叱る」ではなく、自分自身の叱るスタンスを考えていかなければいけないなと思いました。
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