こんにちは、ドクダミ淑子です。
「この番組は、西野亮廣エンタメ研究所は映画えんとつ町のプペルを応援しています、の提供でお送りします」
TVを見ていると、時々このアナウンスを聞きます。
なんだ、この長い台詞は・・・
カモられる若者?
西野さんについては、あまりちゃんと追いかけていないのですが、オンラインサロンをやったり、クラウドファンディングをしたり・・・と、まぁ色々やっているようですね。
最近、そのオンラインサロン所属の女性が、チャレンジだの挑戦だの(意味同じ)を掲げて活動したことをnoteに書いてちょっと燃えたりしているようですね。
マダムユキさんのブログで知りました。
そして、話題になっている人はこんなnoteを書いているようで。
「”カモられる若者”」として炎上している件について【西野サロンU25】|さいとうしほ|note
私は、こちらのnoteを読んで、考えてしまいました。
本人からしたら、「夢中になれるものが見つかった」というトキメキで一杯なんだろうな・・・と。
夢中になれるものが見つかった説
ここからは完全に妄想なんですけど、こういうのにハマる人って、今まで、夢中になれるものがあまりなかったんじゃないだろうか?
普通に学生やサラリーマン生活している人。
趣味で散財したり、羽目をはずしたりはしない、波風立たない、穏やかな毎日を送っている人。
穏やかな毎日というと聞こえはいいけど、ある意味退屈でもあるわけで。
不満はないけど大満足ではない、このままでいいのだろうか?とか、漠然とした不安を抱いたりすることもあるわけで。
そういう人が、ある日、夢中になれるものを見つけてしまう・・・オンラインサロンというものを。
普通に流れていっていた日常が、突然キラキラと輝きだして、まるで今までモノクロの世界で生きてきたように感じてしまう。
夢中になれるものがある毎日ってなんて楽しいんだろう!
お金を払えば、もっと楽しめる・・・ならば払おうじゃないか!
そしてさらに夢中になれる!
お金を払っているけど、私はかけがえのないものを得ているのだ!
それは夢や経験、ワクワクする気持ちなど。
もっともっと、この感動を強めたい!
そんな感じだから、「搾取」「カモ」なんて微塵も思ってないんじゃないかな。
だからたぶん、そう言われていることの意味が全く理解できない。
趣味と同じなのだけれども
オンラインサロンに所属し活動することは、ざっくり分類すると、「趣味」の一種だと思います。
やらなくてもいいけど、すれば人生を豊かにするものって意味で。
そういう風に考えると、オンラインサロンにハマることも、アイドルや舞台にハマることも、アニメやゲームにハマることも、全部同じに思えます。
では、件のオンラインサロンにハマることはなぜ疑問を呈する人がいるのか?
それは、先程書いたアイドルや舞台、アニメやゲームと違って、サービス提供する側が、「ビジョン」「夢」を掲げ、それをサービスを利用する側にも同じ方を向くように仕向けるから。
たとえばアイドルが、「私たちの踊る姿を見ることで、あなたが人間として成長してください」とか言いますか?
ゲームの主人公やゲーム会社が「俺達のゲームは日本の社会を希望に満ち溢れさせている意義のあるものだから参加すべきだ」とか言いますか?
他の趣味って、「意味」「意義」はハマる本人が考えるじゃないですか。
別に理由がなくて、「楽しい」「好き」「尊い」だけでもいい。
オンラインサロン特有なんですよね。
「私達の活動にはこんな意義があってビジョンや夢があって・・・だから一緒に頑張ろう!」みたいなことを言いながらお金を払わせるのって。
どちらかというと、それって会社に所属して働くことに近い。
会社って、社長のビジョンや経営計画に共感して、一緒に達成したい人が集まるって側面もありますから。
会社側は、労働の対価として、お金を払いますけど。
だから、趣味のような体でお金を支払わせ、会社のようにトップのビジョンで活動させるっていうオンラインサロンは、ちょっと異質なんだと思うし、搾取と言って叩かれるのだと思う。
ガチャの選択肢に入ってきてしまう
どれにハマるかって、一種のガチャだと思うんですよね。
あるタイミングで目の前にあるもので、 その時の気分にピタッとあうものが、ハマる趣味になってしまう。
「カモ属性がある人が引っかかる」と書かれているような人もいましたが、私はそうではないと思う。
ガチャのように、選択肢の1つとして出てきてしまうんだ。
・・・と、別の趣味を始めて、もの凄くのめり込んでいる友人を見ていて、思うんだ。
彼女がもしも、心の穴を何かで埋めたいと思ったタイミングに、某アイドルのライブ動画じゃなくて、西野エンタメ研究所に触れていたら、そっちにハマってしまっていたかもしれない、と。
ブレーキをかけるには
オンラインサロンもその他の趣味も、どれにハマるかは、ガチャのようなもの。
そうだとすると、「趣味を装った、搾取される仕組み」にどうやって気付いて、抜けだしたらいいのだろうか?
私は、その趣味をする「意味」や「意義」を考えたり、語り出した時点で、それは「趣味」ではないと気づくべきだと思います。
趣味なんて、ハマる理由なんてないんですよ。
「好き」、ただそれだけ。
その気持ちを言語化するのも難しいし、語れば語るほど、なぜ好きなのか?なんて分からなくなってくる。
それを必死で言語化して、自分の中で正当化している時点で、それは趣味ではないのです。
だから、件の若者は、そうやって、自分がカモではない、搾取されていない、その理由は・・・と語っている時点で、それは趣味ではなく、搾取される仕組みなのだと気付いた方が良いと思うのです。
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