こんにちは、ドクダミ淑子です。
オンラインサロンが詐欺か詐欺じゃないか問題などが世間を騒がせています。
まぁ、私に言わせていただければ、月に3000円払うなら、その千円札を握りしめて、居酒屋行って、お酒を飲みながらボーっと、色々な人の話を盗み聞きする方が、よっぽどブログのネタになるし、「自分の世界」とやらも広がると思うんですよね。
もう少し大衆ウケする答えを言うとしたら、「3000円分の本を買ったほうがいい」ですかね。
やっぱり、読書はいい。
だから、大衆居酒屋のカウンターで、酔っ払いたちの話を聞きながら1500円くらいでお酒とつまみを頼み、誰かの話をBGMに1500円の本を読むのが一番コスパいい学び方だと思います。
・・・そんな話は置いておいて。
さて、そんな「詐欺か詐欺じゃないか騒動」を受けてか、はてなブロガーのめんおうさんがこんなツイートをしていたので、思わずコメントを付けてみました。
めんおうさんのツイートはこちら。
<みなさんへの質問>
— めんおう@伝えるもの書き (@mennousan) 2019年2月11日
信頼されている者が、ある意味それを武器にしつつ信じていることを本気で発信した場合、詐欺になるのでしょうか。
怪しげなインフルエンサーがいろんなところで炎上していますが、本人が正しいと信じ込んでいた場合は詐欺でも何でもなくなってくるのかな?
と思いました。
それに対する私の反応はこちら。
詐欺にはあたらないと思いますが、その瞬間からその人に対する信頼度は激減しますし、発言に対してすぐに納得せず、いちいち疑問を感じるようになりますね。
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) 2019年2月11日
昔、上司から「信頼貯金はコツコツ貯まるが、なくなる時は一瞬でゼロになる」と言われましたが、まさにそういう感覚です。
今回は、この「信頼する人が本気でオススメするものは詐欺にあたるか?」という問いに対しての私の答えを書いていこうと思います。
ちなみに、このツイートの最初から読むのは、こちらから。
<これって詐欺ですか?>
— めんおう@伝えるもの書き (@mennousan) 2019年2月11日
ある有名プロブロガーが、有料noteを販売。タイトルは「プロブロガーになるための極意~答えはすべてここにある~」。多くのブロガーが期待したが、値段は上限額の50000円。高すぎるという批判は多くあったが、一部は「高い理由があるはず」と信じた。
続く
無条件に100%信じるは、ないでしょ
タイトルで結論を書いてしまうのがこのドクダミ自由帳スタイルなのですが、私が思うに「誰かの言うことをたとえ信頼しているからと言って、100%信じる」ということ自体が間違っていると思うんですよね。
なんでそんなに簡単に人を尊敬し、人を信頼するのかがわからない。
人間なんて、間違いばかり起こすし、考えだってコロコロ変わるし、その時のメンタルによって性格だって変わるし、どんなにいい人に見えても失敗していない人なんていないし・・・
・・・なぜ、そんな愚かな人間の言うこと、しかも会ったことがない・本当に存在するのかすらわからない他人の言うことを簡単に信じて、ついていけるのかが、わかりません。
信じている人が売るものなら、疑わない?
信頼している人が強くオススメするなら、絶対に買う?
私はそういうことは、ないですね。
自分の家族なら、無条件に信じる?
「他人」ならそうかもしれないけれども、じゃあ「家族」だったらどうなの?というと、家族でも無条件に信じるって言うのは、ないなと思うのです。
よく「ウチの子に限ってイジメなんて・・・」とか、「犯罪をする子だと思っていなかった」っていう親のコメントがありますが、そういうのって、無条件に信じるって言うことの弊害だと思うんですよね。
もちろん口では、「信じている」「お父さんお母さんはあなたの味方よ」と伝えることは大事だと思います。
自分の親でも子でも、だからと言って常に正しいことをしているわけではない。
もしかしたら間違っていることがあるかもしれない。
そういう風に思ってフラットな目で見たほうが、色々と対策はしやすくなるんじゃないでしょうか?
「理由もなく信じる」は新興宗教の信仰と同じ
人は少し有名になる・偉くなると「神」になりたがります。
「私を信じろ」「私の言うことは正しい」など、理由なく・無条件に信じて、言われるままに動けと言い出すのです。
ネットでは「(新興)宗教」とたとえる人もいましたが、まさにその通りだと思います。
多くの宗教は、実体のない「神」を信仰するものが多いですから、実際のところは自分の「良心」に従って動いているのです。
でも、新興宗教は人間を「神」と見立ててあがめるから、自分の良心ではなく神様ぶる1人の人間の言葉に従って動きます。
この2つは、根本的に違うのです。
常に、物事を判断する眼を持っていたい
エセ神がうようよする世界。
その中で私たちがすることは、「どのエセ神を信じるか」ではなく、「自分はこの人のこの言葉に対してどう思い、考えるか」を常に考えていくことが大切だと思うのです。
だから「信頼する人が言っていることはすべて正しい」ではなく、信頼する人でも「本当かな?」と思う眼を持ち続けることが大切だと思うのです。
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