こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、仕事で、お客様に産休の連絡をすることが増えてきました。
「○月から産休に・・・」
「おめでとうございます!」
お祝いの言葉をいただけるのは、とても嬉しいものです。
その後に出てくるのは、やっぱりコロナの話題。
「私が産む予定の病院は、立ち会い出産はできなくて、面会もできないんですよ。退院の日に迎えに来るのが初めてのご対面になるんです」
「やっぱり・・・立ち合いできないんだ」
みなさん、残念そうな顔をされます。
立ち会い出産、してほしいか問題
私はこれまで、立ち会い出産ができないことについては、特に「ふぅん・・・」って感じだったんですよね。
私が痛くて苦しんで死にそうな思いをしていて我を忘れている瞬間を、夫に見てほしいとはあまり思えなくて。
私も見えないような、赤子が出てくる瞬間とかいう、グロな風景を見るなんて、ちょっと怖くない?くらいの感覚で。
万が一「妻が怖くなった」みたいな風に思われたら、それも嫌だな・・・とか。
だから、コロナだから立ち会えないについては、「まぁいいか」って思っていたのです。
立ち会い出産の意味合いが変わる
そんな私ですが、先日、人事担当の男性2名とお話をした時に、考えが変わりました。
「立ち会いできないんですよ~」
「そうなんだ・・・」
「あの・・・ヘドロの塊みたいなやつを見られないんだ」
へ、ヘドロの塊・・・?
そうだよね、色々出てくるもんね。
ヘドロの塊かぁ・・・そんなもの見ちゃうのか・・・やっぱりグロテスクだなぁ・・・
男性はトラウマにならないのだろうか?
なんて思っていたのですが、その次にヘドロ発言をしていた人から出てきたのは、こんな言葉でした。
「やっぱり、出産って特別な瞬間だよ。俺、2回とも立ち会ったけど、やっぱり言葉にできない感動というか、『ああ、これが俺の子か・・・』って実感をするっていうか。泣いちゃったもんな」
「私も、後輩には立ち会いはした方が良いってすすめてる。絶対に、した方がいい」
え・・・そういうもんなの?
そうか・・・
男性にとっても、出産の瞬間って、痛くて苦しくはないかもしれないけれども、やっぱり特別な瞬間なんだな。
立ち会いって、傍観者として、客観的に「見る」っていうんじゃなくて、その瞬間を産む人と一緒に、主観的に「共有する」「体験する」ていうことなのかもしれない。
夫と子育てとの距離
私の夫って、どちらかというと、子育てにガンガン積極的に関わるってタイプじゃない気がするんですよね。
生まれてみたら、可愛くて人間が変わるかもしれないけれども、今のところだと、自分の仕事や遊びの方が優先で、家のことは二の次みたいなタイプ。
私もそう思うし、彼の家族や彼を知る私の友人も、そういうことを言う。
彼の育った環境(仕事人間の父と専業主婦の母という組み合わせ)を見ていて、なんとなく感じているし、ある意味仕方がない事かもしれないと思っている。
同じタイプの旦那さんを持つ友人からは、「覚悟しておいた方がいいよ」と言われる。
まぁ、私もそれは感じる。
でも、だからといって「立ち会い必要なし!」とか、私が彼が子どもに関わる機会を奪ってしまってはいけないし、そういうことをすることで、更に距離を作ってしまうかもしれない。
里帰り出産だって、慣れなくて一番大変な時期とか、可愛い新生児の時期を見せないってことになるしな。
とはいっても、やっぱり実家は頼りたいんだけど。
私が自分で、「育児は私がやる!」みたいな距離を取らないようにしなければいけないな、と先輩パパたちの言葉を聞いて、思ったのです。
新時代の立ち会い出産は
そんなことを思いながら、また打ち合わせをしていました。
「Webでの面接も増えていますので、貴社でもぜひご検討を・・・」「でも、Webだと分からないことも多くないですか?雰囲気とか・・・」なんて話をしながら、最後に産休の挨拶を。
「立ち会い出産できないんですよ~」
「え・・・そうなの?じゃあそれこそ、Zoomで中継しなきゃじゃない?」
そうか・・・Zoomか!
でも、Zoomだと分からないことも多くないですか?雰囲気とか・・・
と、さっき話していたことと逆転することになったのでした。
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