こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある時、ふと、こんなことに気づいたのです。
「私の彼氏いない歴を彼氏(今は夫)いる歴を上回るのは、50代になってからだ」ということに。
正確には、53歳ですね
もう少し詳しく書きますと、私が彼氏いない歴=年齢の記録を破ったのは、26.5歳の時ですから、53歳になって初めて「私の人生の過半数がパートナーがいる状態です」になるのです。
「だから何?」って感じですか?
そりゃ、あなたにとっては「だから何?」かもしれませんよ。
でも、私にとっては、ものすごく壮大なことのように思えるのです。
奨学金の返済、20年かぁ、長いなぁ・・・って思っていたけれども、もっと先にこんな(私にとっての)歴史的な出来事が控えているとは!と驚いたのです。
書いていて、私も何に驚いているのか、だんだんわからなくなってきたけれども。
脱ぎ捨てられない卑屈さ
私の書くモノとか、人との付き合い方とか、選ばれない・好かれない自分をどういう風に自分で慰めて折り合いをつけていくか・・・とかって、この遅咲きの青春っていうところが大きいなと、ふと思ったのです。
高校の同級生たちは類友だったから、たまに飲み会すると、ベランダから一緒に下校するカップルや二人乗りするカップルに呪詛をまき散らしていたことや、修学旅行の夜に告白スポットで張り込みをして告白の様子をのぞき見したり、文化祭の打ち上げ(サイゼリアかガスト)で消えるカップルを尾行したりとか、そんな楽しい思い出が出てきます。
ただ、30歳に近くなったころから、この思い出話にもう一言が添えられるようになってきました。
「私だって、本当はそういうキラキラした青春を味わいたかった」
「モテなかったから、ひがんでいただけだった」
・・・そうなんだよ、そうなんだよねぇ!!(当時はここで日本酒イッキ飲み)
別に好き好んで、私だってのぞき見をしていたわけではないんだよな。
あの茂みの向こう側へ行きたくて、でも呼び出されないから行けなくて、でもその気持ちを疑似体験したくて、覗いていたわけなのです。
そしてその「憧れ」「羨ましさ」を隠すために、ぐだぐだ言っていただけで。
そんな高校時代を共にした友人たちは、なんだかんだで大学時代にオタサーの姫になったり、サークル活動に精を出したりして、なんとなく大学デビュー・リア充としての道を歩んで行きましたね。
私もそれなりに頑張ったのですが、結局彼氏は出来ず、そのまま大学を卒業したんですね。
なんだかこういうことを思い返すと、他人のことを穿った目で見るところとか、まさにこのモテない・卑屈な自分が培ってきた能力なのではないか・・・と思うのです。
モテないメンタリティはなくならないよね
・・・とまぁ、色々考えてきて、思いました。
もう、私の人生の土台はモテない女だった時代に出来上がっているんだな、と。
誰にも選ばれない、好きだと言ってもらえない(むしろ避けられる)、キラキラした世界を羨ましがりながらも、そこに行ったら太陽の光に焼かれて死んでしまうから行けないような存在だった時代に。
もしかしたら、だからこその優しさ的なものとか、一般的な「常識」に対しても素直に受け入れないスタンスとか、何か生きているものもあるかもしれない。
夫と今まで一度もケンカしていないのも、(夫の寛容な性格がめちゃくちゃ大きいけれども)私の何かモテない頃に培ったものが生きているのかもしれない。
53歳になったときに、何か革命が起こるかもしれません(多分何も起こらない)。
でも、モテない女として26年半生き抜いた経験を糧に、人の心の傷には敏感な存在でありたいものだと、改めて思いました。
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