こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は、大学4年生のこの位の時期、母校である片田舎の公立中学校に教育実習をしに行っていました。
結果として、教員は自分に向かないということを実感した・・・いい経験でした。
教室に入った途端、妙な雰囲気を感じた
私が配属されたのは、中学2年生のクラスでした。
クラス替えが終わり、少しだけ落ち着いた5月下旬。
ですが、クラスの雰囲気は「妙」でした。
全員が、身構えているというか、クラスの安心感っていうのがなかったんですね。
誰もが警戒していて、よそよそしく、様子を見ていて、何かあったらすぐに臨戦態勢をとるか逃げるかができるような・・・そんな安心できない雰囲気。
「クラス替え直後だからかな?」「私が入ってきたからかな?」「中2だし、思春期だからかな」
・・・その時は、そのくらいに軽く考えていました。
でも、少しずつ気づいてきたんですね。
「あ、この担任の先生の『事なかれ主義』が生徒に伝わっているのではないか?」と。
そう思ったのは、担任の先生のことを「あの人」と言っている生徒がいる、っていうか多いということに気づいた時です。
担任の先生。
私が中学生の時、こっそり陰で呼ぶ時って、ニックネームを付けていたことはありました。
下の名前を呼び捨てたり、ちょっと悪意のあるあだ名をつけたり・・・
でも、それは良くも悪くも、「関心」があるからだったと思うんですよ。
それを、「あの人」かぁ・・・
そこで感じたのは、無関心だったんですね。
確かに、当たり障りのない接し方しかしない、その先生に私も違和感を持っていました。
「事件は、起こっても私の目に入らなければ、存在しない」
「余計なものは見ないふりするのが一番」
日々のアドバイスで、そういうことを感じていました。
爪痕を残したいと思ってしまった
毎日の帰りの会で、実習生からのコメントコーナーをいただいていたのですが、私はいつも先生のアドバイス通り、当たり障りのない話をしていました。
でも、つまらないんですね。
話している私もつまらないし、聞いている生徒もつまらなそうな顔をしている。
褒めてくれるのは、担任の先生だけ。
・・・私のひねくれ精神が、そこで満足するわけはありません。
何かしら、生徒の心に爪痕を残るような言葉を、1つくらい届けたい。
なので、教育実習も後半になった時、こんな話をしました。
- 半年前に、成人式に行った
- 成人式・その後の中学校の同窓会に「みんなに顔向けできない」という理由で欠席をした人がいた
- 私はそれが悲しかった、同級生に会いたかった
- 今、みんなは6年後のことなんて考えられないかもしれない
- でも、今の積み重ねが6年後に続くんだ
- だから、これからどういう大人になっていくのか、少しだけ考えてほしい
いつもヘラヘラしている生徒たちが、この時だけはシーンとなり、真剣に聞いてくれました。
私は、手ごたえを感じました。
あの時の言葉は正しかったのか?
担任の先生からは、こう言われました。
「もっと、みんなが元気になる言葉を言ってほしい」
今まで「元気になる言葉」を言ってきたから、今日くらいいいじゃないか・・・と思いましたね、その時は。
今となっても、あの時の私の話が中2に対して適切だったのか、なんてわかりません。
不安をあおるようなことを言っていたかもしれない。
でも、あれが一番、「先生」ではなく一人の人生の先輩として言った言葉だったんですよね。
だから、それが先生らしくないと言われても、仕方ない。
私が中2の時の担任に言われた言葉で、唯一覚えているものがあります。
「どんなに技術が発展しても、障がい者は100人に1人の割合で産まれてくることは変わりがない。自分の子どもが障害を持って生まれてくるかもしれないし、それは止められえないのだ」
この言葉の説が、合っているのか間違っているのかは、よく分かりません。
どの文脈で言われたのかも、覚えていません(恐らく特別支援学級の子の話だと思うけど)。
でも、この言葉は私の中でずっとずっと残って、考え続けているのです。
中2の時、若い時に、誰かからかけられた言葉が、残っている。
それは担任がすべきことかもしれないけど、出しゃばりかもしれないけど、そうしたい!と思ったことを、14年後のある日に、ふと思い出しました。
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