ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

私には「先生になること」は無理でした


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

私は、大学時代、教員免許を取っていました。

理由は、「取れるもんなら取っておくか」というドケチ根性。

あと、ちょっとだけ「先生って楽しそう」って気持ちもありました。

 

でも、そんな気持ちは教育実習ですっかりなくなり、教員採用試験を受けるとこなく、あっさりと就職しました。

理由は、「私は先生にはなれないな」ってことがハッキリとわかったから。

 

今回はそんな私が先生になれないと思ったポイントについて書いていこうと思います。

 

 

学校教育ってやつを思い出した話

なんで突然そんなことを書こうと思ったかというと、こんなツイートを見たからです。

 

 

普段ツイートしない私も、ついついつられて発言。

 

 

そう、私は「普通の人間を作る」学校教育ってものを目の当たりにして、それは自分にはあっていないということをひしひしと感じたのです。

 

 

平均的な人間を作るのが、学校ということ

初めのツイートでありましたが、学校は平均的な人間を作る場です。

個性を育てるとか言ってるけど、そんなの建前ですし、あの体制の中では絶対に無理ですね。

特に公立の学校だと、「公僕」と言われる公務員の方々が、日本国民として必要な知識を身に着け、将来的にはしっかり日本のために税金を納められるような国民を作る場です。

だから、国がお金を払い、国民はほぼタダで通えるわけですね。

 

その教育を受けたくない人は、独自の教育方針を掲げる私立校に入ればいいのです。


 大多数、6割に合わせた教育をするべきと言われる

私が教育実習向けの授業や、教育実習でも指導されたのが「真ん中に合わせた教育をしよう」でした。

大体、 優秀な子が2割、お勉強のできない子が2割、中間が6割という中で、真ん中の6割に合わせたレベルで設定して、その人たちがわかる・できるような問題を作りましょうという話です。

これは実際やってみると難しかった。

私は中学では学年トップ3に入っていたから、問題を解いた後に落書きばかりしていた身、真ん中はどのくらいのレベルなのかを理解することが難しかった。

 

学習障害、家庭に問題がある子、非行などは、目を背ければ無いのと同じ

これは、私の担当したクラスの担任だけかもしれませんが、クラスの中には色々な問題を抱えた子がいました。

中学生になっても「を」と「お」の区別がつかず、「先生お、教室え、つれていきました」と書く子。

リストカット跡のある子。

おそらく家庭に問題があり、教育実習生の私に全力でよりかかってくる子。

 

そんなたくさんの問題も、6割の普通の子に向けて注意を払う立場からすれば、あまり接したくないようでした。

「何も問題が起こらなければ、それはよいクラス」という信念のもと、たくさんの問題について質問しても「大丈夫よ」で流されていました。

私はこれに、すごくモヤモヤした。

 

先生同士も「みんな一緒」の圧力。早く帰ると怒られる

教育実習中、それぞれがやることを終わらせたら、さっさと帰っていましたが、途中で1つ上の先輩(入社1年目)に叱られました。

先輩が仕事をしているのに、先に帰るとは何事か、同期が頑張っているのに、手伝わないとは何事か・・・と。

その時は、素直に言うことを聞いて残るようにしましたし、「印象が大事だ」ということで、実習生が揃って「お先に失礼しますッッ!」と言ってから帰るようにしました。

でも、今思えば「みんな一緒に帰らなければいけない」って意味不明ですよね。

生徒だけでなく先生も、とにかく均一、均等、公平、平等って雰囲気だったと思います。

 

スカートの長さ何センチとか、理由がわからない

いまだに理由がわからないんですよね。

スカートが何センチとか、肩につく髪は結んだりお下げにするとか、そういう校則。

自分でも理解できないのに、「決まりはきまりだから、とりあえずこうしろ」っていうのは、私には無理でした。

 

 

でも、それは仕方ない面もある

平均的な人間を作るのが学校教育と書きましたが、それはそれで仕方ない面もあります。

 

多数を一方向に向かせなければいけない

まずは、人数。

私が教育実習で行ったのは中学校でしたが、全校生徒600人、1学年200人、1クラス30人くらいの規模でした。

この200人が個性を大事にして、自分達のやりたいことをやりましょうと言って野放しにすると、大変なことになりますね。

 

だから、整列する、前ならえをして幅を均等にする、座る、静かにする、行っていい場所と行ってはいけない場所を決める・・・決まりを作ることは仕方ないのです。

 

「優秀な先生」は評価されづらい

そして、評価しづらい人事制度。

若い先生がいかに素晴らしくても、学校にはそれを評価する手段がありません。

  • 教科が違う
  • 生徒の元々のレベルが違う
  • 主任、副校長、校長くらいしか役職がない

 

なので、わかりやすい評価基準は、何年先生をしていたかだけ、すなわち年功序列になります。

あと、いかに問題を起こさないかですね。

そういうルールのゲーム(仕事)なら、高得点(高評価)を取れる、「問題を起こさず、長く勤める」ということに心血を注ぐようになります。

 

ちなみに学習塾の場合は明確で、得点アップや合格実績や、顧客満足度(生徒のアンケート)なので、評価はされやすいです。

学校もこういうの取り入れて、謎の横並びやめればいいのに。

 

私は先生に向かなかった、ただそれだけ

いろいろ書きましたが、私という人間が教師には向かなかっただけで、先生という仕事は尊いものだと思います。

自分の個性を大事にしつつ、生徒の個性も伸ばしたい・・・そんな志向の人は、出世や他の先生からの圧力に負けず、自分を貫くか、ビジョンのはっきりしている私立校や学習塾の方が向いているかもしれないというのが、私の感想です。

 

 

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