こんにちは、ドクダミ淑子です。
女性専用車両に乗らない女性が7割なんていうニュースが炎上していますね。
いやぁ・・・アホみたいな話だわ、と思いつつ、世間様からの「女像」ってすごいねじ曲がっているなと思ったので、今回はそんな空想上の生き物である、「女」について考えてみたいと思います。
女のイメージを書き出してみる
「ねぇ、女って何?」
ある日、そう聞いた子どもに、私はこう答えました。
「大昔に存在していたと言われる生き物だよ」
「どんな生き物なの?」
「古代の文献によると、女はね・・・
- 朝は日が昇る前に早起きしてメイクをして髪を巻き、
- 黒目を大きく見せるコンタクトレンズを装着し、
- 足の痛みと闘いながら屈辱的な気持ちでハイヒールを履き、
- ブランドバッグを持ち、
- 香水をプンプンと匂わせて、
- 女性専用車両でブランド物を見せ合いながらマウンティングをし、
- 電車の中で女同士の小競り合いをし、
- 会社に着いたら給湯室やトイレでグチの言い合い、
- デートでは奢ってくれなきゃ嫌だと駄々をこね、
- 彼氏や夫の勤務先でマウンティングをし、
- あぶらとり紙をまき散らし、
- ツメはピカピカに装飾し、
- まつ毛の上に人工のまつ毛を接着剤でつけて、
- 女はおしゃれにお金がかかると自慢げに言い、
- 独身は実家暮らしなのに貯金がなく海外旅行に行きまくり、
- 結婚すれば勝ち組と喜び、
- 妊娠すれば妊婦様として周りが気を遣って当然だと思い、
- 子どもが生まれればベビーカーで人をはね、
- 車を持っていればアッシー君にし、
- 一緒に会っていいレベルならメッシー君にし、
- お金を持っていればミツグ君にし、
- 夫をATMとしか思わず、
- 年を取ると綾小路きみまろで爆笑する
・・・そんな生き物だったようだよ」
「最後らへんはよくわからなかったけど、女って怖いねぇ。いつも誰かを敵にして、隙あらば噛みつく生き物なんだ」
「そうなんだ。だから女というのは、女同士の争いで絶滅してしまったと言われている」
「へぇ・・・」
「でも、実はここに別の学説があるんだ。今まで言った女のイメージというのは、すべて男が作り出したもので、実は女が滅びたのは、男と女の争いが起こって、男が勝利したから、とも言われているんだ」
「そうなんだ・・・」
・・・ん な わ け あ る か !!
すみませんね、隙あれば妄想しちゃうんですよ、私。
「女」はなぜ、総体で語られるのか
もちろん、上記に書いたものの一部を満たす人はいるんですけどね。
奢る/奢らない問題とか、香水プンプンとか。
でも、このすべてを満たす「典型的な女」なんて存在しないんですよ。
なのに、なぜか「女」というと、上記のような「女」のイメージが蔓延している。
なんなんでしょうかね?
私、思うんですけど、もしかしたら、「竹取物語」とか「桃太郎」位のレベルで、「女」という生き物は語られているのかもしれない。
日本昔話レベルで、「山奥でタクシーを運転していたら、女が乗ってきて<中略>シートがびしょ濡れ」って怪談レベルで、トイレの花子さんレベルで・・・「女物語」は男の中で語り継がれてるのではないだろうか?
「この前さぁ、『奢って当然女』が出てさぁ・・・」
「わぁ、本当に存在するんだ、そんな女」
「いるよマジで、俺だってこの前会社で、『給湯室女』見たし!」
「すげぇ!」
・・・みたいな。
そうすると、あながち、上に書いた「伝説の女像」という話は、間違っていないのかもしれない。
人生いろいろ、男もいろいろ、女だって
話は冒頭に戻って。
女性専用車の話みたいな、アホなイメージで語って、それを公共のニュース番組にしちゃうようなオッサン(推定)は、ネット上でもBPOでもぼっこぼこに叩かれればいいと思います。
でも、男がわからない「女」という生き物へのアプローチは、どうしても「観察」「仮説」「実験」「検証」「論文発表」みたいな風になりがちなのかもしれない。
あまりにも接しているサンプルが少ないがゆえにイメージで語るしかないような人もいるのでしょう。
でも、そんなあなたの「女像」を思い浮かばせる時に忘れないでほしいのは、女も人間であるということと、男だって女だっていろいろいるということですね。
島倉千代子さんも言っているじゃないですか、「女だっていろいろ咲き乱れるの」って。
中には、私のようにTゾーンのテカリを、あぶらとり紙ではなくレシートで拭くような女もいるんですよ。
・・・って、あぶらとり紙すら使わないんかい!!
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