こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は、東京事変の『キラーチューン』という曲が好きです。
「贅沢は味方」もっと欲しがります負けたって
「今日は一度切り」無駄がなけりゃ意味がない
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アルバム『娯楽(バラエティ)』に収録されています。
「貴方は私の一生もの」「私は貴方の一生もの」というラブラブなオチが付くこの曲。
私は初めてこの曲を聞いてからというものの、「贅沢は味方」というワードが刺さりすぎて聴きまくりました。
そして、「欲しがります負けたって」が心の奥まで染み付いているのです。
生活のグレードを落とすべし?
こんな話を書いたのは、「生活のグレードを落とした方が豊かになれる」というツイートを見かけたからです。
私はこれを読んで、なんだかモヤモヤしたのです。
言いたいことはわかるのですが、「欲を持たない」「これ“が”いいじゃなくて、これ“で”いい」「これで十分、多くは求めない」みたいなスタンスって、なんかわびしいなと思ってしまったのです。
感性が鈍ってしまわないか
そうやって生活のグレードを下げて、お金を使わない癖をつけていくと、「求めない」「欲しがらない」人になっていきそうで、私は怖いのです。
感性が鈍るというか、「やりたいこと」「欲しいもの」とかが出てきても、普段から節制していると、自分の中で無意識にブレーキがかかってしまう気がするのです。
私はいつでも、「READY」状態でいたい。
なんでも「やりたい」「欲しい」と思ったら、その場で「GO!!」と動き出せる、ポンとお金を出せる気持ちでいたいのです。
だから、「私は生活のグレードを下げます」とは宣言しない。
欲望が人間の原動力
私の祖母は90歳近く、足が多少不自由になっていますが、まだまだ心はとても元気。
いつも「豚カツが食べたい」「タピオカが飲みたい」「買い物に行きたい」「最近オープンした商業施設に行きたい」など、あれこれとしたいこと、食べたいものを言って、私をパシリに使います。
私はそんな祖母がとても素敵だなと思っているのです。
何歳になっても、あれがしたい・これが欲しいと言い続けられるこそ、とても豊かなことだと思うのです。
実際は質素な暮らしかもしれない
とはいっても、私がなんでも高いものを買っているかというと、別にそんなわけでもありません。
洋服なんて長いこと買っていないし、先日買ったパンツ(下着の方)はGU。
外食は週1日あるかないか。
おまけに、ポイントを貯めるのが大好きだし、ポイントサイトでちまちまと1円を稼ぐ癖が止められません。
でも、使う時は遠慮なく使いたいのです。
コーヒー代なんて何のためらいもなく出したいし、L'Arc~en~CielのライブとDVD(わりと高額)は飛びつきたい。
家もアクセスと設備が十分なものを購入するし、旅行だって行ったらポンとお金を使いたい。
回転寿司で一皿500円の金皿を、迷いなく取りたい。
支出を減らすよりも収入を増やしたい
そのためには、ある程度お金を稼がなければいけないかもしれませんが、それもまた楽しいじゃないですか。
私は営業ですので、インセンティブ(報償金)をガッツリといただくこともできます。
いつでも、やりたいときにやりたい事をできるような状態にしておく。
そのために仕事を頑張る。
だから私にとって、「贅沢は味方」で「貧しさこそが敵」なのです。
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