こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、思うところがあって、この本を買いました。
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ネットの一部分だけで悪い意味で有名になっている人の、2012年11月に発売された新書です。
これがなかなか面白かったので、今回は感想を書いていこうと思います。
どんな本なの?
こちらはイケダハヤト(通称イケハヤ)氏が書いた、新書というよりもエッセイみたいな本です。
各章のまとめだけ抜粋して書くと、こんな感じ。
- 「貧乏」をクリエイティブに楽しもう
- 盲目的にお金を稼ぐのではなく、必要な分だけ稼ぎ、余剰な時間を生み出すという考え方になろう
- 自分の職能の収益性を高めよう。今の会社でしか通用しないスキルを長時間かけて磨かないようにしよう
- お金がないと何もできないというのは逆に貧しい、ということに気づこう
- 「飼い殺し」にされていませんか?明日会社がなくなっても、食べていける力を持とう
- お金のためではなく、問題を解決するために働こう
- 直接的な社会参加を「遊び」として捉えよう。そして、人助けを通じて「プライベート・セーフティーネット」を獲得しよう
- ITリテラシーの水準は生活コストに関わる。新しい価値観を持って、新しいITツールを活用しよう
彼がいつも言っていることと大体同じなんだけど、この本とツイートを読んだ時の印象がまるで違うんです。
「貧乏でいい」と言い切るかつてのイケハヤ氏
今のイケハヤ氏は、だいたい「金金金」と言っています。
どうやって稼ごうかと考えたり、自分はお金持ちだと自慢したり、年商何億だとか・・・私は彼のことを金の亡者だと思っていました。
でも、かつてのイケハヤ氏は全く違うのです。
まず彼は、自分が貧乏であると書き、その上で「貧乏は自由だ」という章の中で、こんなことを書いています。
年間500~600万円の売上を計上していますが、これ以上働いて年収を上げたいとは思っていません。
<中略>
300万円の売り上げ目標を達成してしまえば、あとは自由な時間です。
あくせく働く必要はなく、締め切りに追われることもなく、図書館で本を読み、好きなブログを書いて、創作活動に励めばそれで満足です。
当面の優先度ナンバー1である、「家族を大切にする時間」も、十分確保できそうです。
結構最初の方にこの文があるのですが、読んだ時に、私は「この時代のイケダハヤトに会いたかったな」と強く思いました。
彼が6年後の今もこういうスタンスで、年収150万円でも生きていけると言い続けていたら、私は彼をリスペクトしていたと思うのです。
でも、もう結末がわかってしまいながら見るストーリーのようで、胸が痛くなります。
そう、5年後の彼は、年商1.5億円を稼ぐためにあくせくして、人を煽り、拒絶し、家族を大切にしているフリをする・・・なんだか悲しくなりました。
つまり、「やっぱり年収150万円では、自由に生きていけない」って言っているみたいじゃないか・・・。
そんなのは悲しすぎる。
彼には貧乏を貫き、金金言わないでほしかった。
サラリーマンはオワコンなんて言っていなかった
また、「サラリーマンはオワコン」を連呼して、サラリーマンからの反論を集めて喜んでいる子どもみたいなシーンを見かけますが、彼はこの本を書いている時は「アンチ会社」ではなかったのです。
会社のいいところや、どんな会社が良い会社なのか?ということも書いています。それはとても的を得ていると思うのです。
僕が考える「いい会社」。それは「世の中のどういう問題を解決するために自分たちは日々働いているのか?」という問いに対する答えが社内で共有されている会社です。
そして仮に、自分が従業員50名の会社を作ったら、社内でミッションを共有していくのは難しくなり「お金のために働く」となってやりがいをなくしてしまうのではないか?とか、そういう心配をしているのです。
自分の弱さをさらけ出せる強さを持っていた
貧乏の話もそうですが、彼は自分が会社員に向かなかったという話も隠さずに書いています。
ちょっと引っ込み思案で、自分の意見を面と向かって言うのが苦手な若者が、自分の気になる情報をネットでまとめていたところ、読者がたくさんついたことから、ブログが楽しくなったこと。
赤字2000億円の会社に勤めながら毎月給料が振り込まれるのが「当たり前」だと思っていた自分、まるで家畜のように飼い慣らされていた自分に気づいたこと。
そんな自分に危機感を持って、そこから外の活動を始めたり、思い切って「柵」の外へと飛び出したこと。
「自分は何のために働いているんだろう?」「それはこの会社じゃないとダメなのか?」そういう仕事の意義や自分の立ち位置を自問自答し続け、そして思い切って会社を辞める・・・1人の若者が苦悩しながら自分の道を切り開いていく姿が、そこにはありました。
私はこの本を読んで、とても悲しくなりました。
こんなナイーブで自分の生き方を考え、世の中の「おかしい」に疑問を持ち、弱者への思いやりを持った発言をしている人が、どうして今や、そんなことをすっかり忘れて吠え続けているのだろうか?と。
かつての貧乏を愛し、生活をミニマムにしながら、あくせく働き精神を壊す人たちに自分の生き方を示していた人は、もうこの世の中にはいないのです。
彼は弱者を叩く人に対して、こういうことも書いています。
自分もまた弱者になる可能性があるというのに、弱者を徹底的に叩くというのは、想像力が欠如した態度です。
どうして変わってしまったのか?
イケハヤ氏は、どうしてここまで変わってしまったのでしょうか?
私は彼ではないのでわかりませんが、きっと彼は何かのきっかけでナイーブで傷つきやすかった昔の自分を否定し、「全知全能の神」になりたくなってしまったのではないでしょうか?
今まで日陰で生きてきたのに、強烈なスポットライトを浴びてしまったとか、150万円で良いと思っていたのに大金を手にしてしまったとか・・・
この記事も、同じようなことを書いています。
人は、一度過去の自分を捨てると、徹底的に消し去ろうと逆方向に突き進んでしまうのでしょうか?
でも実は、彼が書いていることは、今言っていることと根幹は変わらないのです。
「大学よりもネットで学び合える時代が来る」「会社に頼らない生き方をしよう」など。
でも、言い方が全く違うのです。
今はわざと「炎上させよう」と思っているのが透けて見えます。
悲しいことに、彼は「炎上」について、こう語っています。
なお、意図的に賛否を呼ぶ、いわゆる「炎上マーケティング」は行うべきではありません。
時には少しの演技性も必要ですが、常に自分を偽り、ピエロを演じてしまっては、かえって自分に縛られてしまいます。
・・・胸が痛くなります。
自分を偽り、ピエロを演じ、自分に縛られている「炎上マーケティング」の人。
この本が出版されてもう6年以上経ちました。
彼がよく言う、「答え合わせは5年後」の答えは、残念な形で出てしまいました。
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