ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「一石を投じてやるぜ」って感じの人が嫌い

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

前回取り上げたテレビ番組「ワイドナショー」で、指原さんがこんなことを言っていました。

 

「一石投じてます…って感じが腹立つ」

 

私も本当にそう思ったので、今回はその話を。

 

キングコング西野さんの「差し入れハラスメント」についてですね。 

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「発言の、その先」がある

 誰かが何かを意見することがあったとします。

ネット上でも、リアル世界でも。

 

その発言は、ある問題に対して発信された「意見」なのですが、また別の意味も生じます。

 

  1. 発言をしたことで、「立ち位置」「立場」が決まる
  2. 発言で、発言者の印象を変える(頭いい、思いやりがある、批判を恐れない などなど)

 

1つの発言をすることで、この2つはついて回ってくるものです。

でも、肝心の問題に対する解決策の話し合いとか通り越して、この1とか2ばかり考えて、モノを発言する人がいます。

 

「頭が良くて、みんなが思っていても言えないことを批判を恐れずにキレキレな発言をできる、カッコいい俺様」みたいな感じです。

 

ああ、そういう人、本当に嫌い!!

 

 

「議論を呼んだこと」は発言者の評価にならない

そういう人って、「私の発言で世の中が議論した」みたいなことを、自分の手柄にしたりします。

もうね、これが意味が分からない。

 

「私が『何で人を殺しちゃいけないんですか?』と聞いたことで、日本中のみんなが、なぜ人を殺してはいけないのかについて真剣に議論することになった。私の功績は偉大だ。」なんて自慢してくる人がいたら、どう思いますか?

 

言い出しっぺだから偉大なわけねーじゃん!

それに対して、納得感のある答えを言ったかどうかが大事だよ!

 

「地球が回っているかもしれない」と言い出したのが偉いのではなく、それをしっかり調べて証明した人が偉大なのです。

 

つまり何が言いたいのかと言うと、「一石を投じた」ということをドヤ顔で言われても、それ自体は、すごいことじゃない。

だから黙ってろ!と思うのです。

 

 

自分のこと「面白い」って思ってる人は面白くない

話は変わりますが、「俺って面白い人じゃないですかぁ」とか言う自称面白い男って、99%面白くないですよね。

あれって一体なぜなのでしょうか?

 

笑いのセンスが独特なのか、彼の周りの人達だけには受けているネタなのか、自分は面白いと思い込みすぎているがあまりに自分の芸を磨く努力をしていないのか、周りの苦笑いをウケたと勘違いしているのか・・・

なぜだかわかりませんが、ただただ面白くないのです。

 

それでも彼らは自分は面白いと思っているから人の意見なんて聞かずに「面白い発言」をしまくるのです。

 

 

自分すごいが肥大化している人たち

私はこの「自称面白いことを言う男」と「一石を投じる人」っていうのは結構似通った点があるんじゃないかなと思うのです。

 

それは、自意識がパンパンに膨れ上がっているところ。

自分はすごい、自分の言うことは正しい、自分は世界に影響を与える人間だ、自分は面白い・・・と自己へのポジティブな評価が膨れ上がりすぎて、本来伝えたいことや議論したいことがどこかへ行ってしまう。

結果残るのは、「自分すごい」ってことだけ。

 

男性の話だけではありません。

女性だってそんな人はたくさんいます。

「フェミニスト」の中には、本来話し合うべき議題ではなく、男性の悪口を言いたいだけのように見える人もいます。

自分がフェミニストで、女性の味方であるということに酔っているような人も見かけます。

そしてそういう人が本来議論をすべきことをうやむやにし、自分の意見が正しいと押し付け、議論の余地を失くそうとしてしまうところが、私はとても残念に思います。

 

だから、私は一石を投じるだけで「自分すごい」を満たそうとしている人たちが、すごく嫌いなのです。

 

 

私だって同じなのかもしれない

さて、これまで「意見を述べることで自分に酔っている人」を散々ディスってみました。

 

では、私はどうなんだろう?と考えてみましょう。

 

私にも、きっとそういう面(一石投じたい欲)があると思います。

 

何か気になることを取り上げて、こうやってブログに書く。

ほぼ無名のブログですけれども、書くことで自分の発言に自分で酔っているだけなのかもしれません。

 

でも、その中でも、ただの「自己満足」で終わらないように、発言をする時には、当事者やその相手、これを読む人関係者の方々それぞれのことを考えた内容で、「議論」についての芯をとらえながら書いていくということだけは忘れずにいきたいものだと思いました。

 

 

 

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