こんにちは、ドクダミ淑子です。
大学受験をする高校生へ向けた、駅からの応援&卒業お祝いメッセージ。
これを見ると、自分が高校受験をしたときのことを思い出すのです。
しかも、大人って汚いなと思った、ネガティブな記憶を。
高校受験する学校の数を、教師が口出した
私が今でも思い出すのは、高校受験前の進路を決める三者面談のことです。
私の第一志望は、偏差値70(めっちゃ頭いい)の高校。
そして滑り止めで偏差値55(ほぼ100%受かる)と、偏差値60(まぁ受かるだろう)を受ける予定でした。
当時通っていた塾から、偏差値65(頑張れば受かるかもしれないし、落ちるかもしれない)の学校をオススメされて、そこもいいなと思い、それを三者面談で相談しました。
すると、先生から出てきたのは、こんな言葉でした。
「他の子は、3校も4校も受けられないから、たくさん受けるのをやめてほしい」
この瞬間、15歳の私は思いました。
「この人、何言っているんだろう?」
謎の横並びに疑問を持った
この先生は、私から受験のチャンスを奪おうとしたんですね。
しかもその理由が、「みんながそこまで受験できないから」。
これって、本当に意味不明だと思うのです。
学校の先生って、こんなこと言いませんか?
- みんな暑いんだから、エアコンもなくても、下敷きをウチワ代わりにしてはいけない
- 辛いのはみんな同じだから、立っていないといけない
- みんなに迷惑をかけないように、給食は早く食べないといけない
なぜ、「みんな同じ」にしなければいけないのか?
そのへんは考えずに、とにかく「みんな同じ」という価値観で、行動を押し付けてくる。
この謎の横並び主義って、本当に疑問なのです。
私は中学の時は、トップクラスの成績でした。
それは、「1位になりたい」というすさまじいモチベーションを持って勉強していたからでした。
その努力の結果、「頭が良い」と言われるレベルになったんですよね。
なのに、なぜ。
特に勉強してこなかった結果、受験できる高校が1つくらいしかない人のことを気遣って、自分の受験できる高校を減らす必要があるのか?
私はこれはおかしいと思いました。
でも、結果として、「そうですね」と納得した母を見て、受験校を減らすことを決めたのです。
私の心の中に、「大人は結局、クレームが出ることを防ぐことに全力を注ぐのだ」という、大きなしこりを残しながら。
結局、「出る杭を打ちたい」人がいるのだ
この世の中は、結局、出過ぎた真似をすると、あれやこれや言う人か、言われる前からクレームを防ごうとしようとする人が出てくるんだなと、中学のこの経験で悟りました。
そして、まだ起こっていない争いを避けることに、賛成する私の母のような人物が出てくることも。
その時は親に流されてしまいましたが、今だったら、こう言って全力で反抗すると思います。
「イヤイヤイヤイヤ・・・なんで勉強してこなくて成績悪い人のことを気遣って、私が受験する高校を減らさなきゃいけないの?勉強してきたのに受験できないとか、勉強の意味はないの?中学の同級生とか、この先ほぼ会わない人ばかりなのに、その人のために将来を変える選択をするの?」
YouTuberをズルいっていうのも同じだよね
私がこの話を書こうとしたときにもう一つ思い出したのが、「YouTuberがズルい」という話でした。
かっぱ寿司の食べ放題が、チャンネル登録数10万人以上のYouTuberなら無料というキャンペーンをやっていた時、ネットではこんな声もありました。
「YouTuberはタダなのに、真面目に働いている私がお金を払うなんておかしい」
「かっぱ寿司はYouTuberみたいなフラフラしているヤツを支援するのか?もう行きたくない」
「じゃあ私もタダにしてほしい」
どうして、チャンネル登録数を増やすために、コンテンツをせっせと作って努力をしている人と、何もしていない人とを平等にしなければいけないのか?
チャンネル登録数10万人って、相当人気だぞ?
この話も、私の高校受験話と一緒だなぁと思うのです。
どうして、何もかもが平等じゃなければいけないのか?
努力の上身に着けたものを「ズルい」と言うのだろうか?
変な平等主義に惑わされず、それぞれの努力を認め合う世の中になればいいのにと思うのです。
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