こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は普段、こんなことを言う経営者を全力でたしなめています。
「ウチの会社に入りたいならなぁ、手書きの履歴書と職務経歴書を書いて、会社の門叩いて、入社させてくださいって頭下げて来るべきなんだよ。それがネットだ?紹介だ?ワープロで打った書類だ?そんなので仕事を探そうなんて、考え方が甘すぎる!」
手書きだからという理由で熱意ははかれませんよ、実際に会って話して見てくださいよ、履歴書は先にもらわなくてもその時に持ってきてもらえばいいじゃないですか・・・とお話しして、できるだけ会っていただくようにしています。
(あらかじめどんな経歴かはデータで見えるようになっています)
「熱意」という目には見えないものを、形式的な何かで表すことを要求する人を、なんとなく的外れだと思っていました。
ところが、です。
#月に行くならお年玉 で100名に100万円、総額1億円キャンペーンの当選者の共通点を見て、私のこの考えはガラガラと崩れていきました。
当選者の共通点は、ちゃんと書いていたこと
100万円が当たった人の共通点は、こちらでした。
- ちゃんと夢を語っていた
- 怪しくないアカウントだった(始めたばかり、前澤氏を以前からフォローしているなど)
もうね、これを見て思い出したのが「履歴書をちゃんと手書きで、ウチの会社向けに書いてこい」っていう人達なんです。
前澤社長も、同じような理由で選んでる・・・!!
アピールして、選んでもらうということ
たしかに、選ぶ側の立場に立ったら、確かにそうなるんですよね。
たくさんの応募者がいて、その中から選ぶとなると、選ぶ基準を決めなければいけない。
今回は500万人以上の中から100人ですから、ある程度の基準をもうけてデジタル(もしくはランダム)にざっくりと区切り、その後に厳選していくという流れになるでしょう。
そして100万円をプレゼントするのだから、できればちゃんと使ってほしい・・・そうなると、「〇〇がしたい!」という、夢や希望や「やりたいこと」が明確な人を選ぶでしょう。
だから、「入社したいならその熱意をちゃんと見せろ」「100万円ほしいならその使い道をちゃんと見せろ」は、同じことになるのです。
だからといって、履歴書を推奨するわけではない
ですが、この話は単純に「そうだそうだ!履歴書で熱意を見せろ」という話にはなりません。
なぜかというと、「手書きの履歴書で入社させてくださいと頭を下げろ」と言う会社って、ぶっちゃけそこまで「いい会社」ではないところが多いのです。
社長の頭の中が昭和時代のままで、この平成も終わろうとする時代にお茶汲みOLがいる会社だったり、未だにパソコンが事務所1台しかなかったり、社員はみんな全員定時より早く出勤し、上司より先に帰ってはいけなかったり・・・考え方も制度も古くてびっくりするようなところが多いです、私の経験上。
そして、初任給が低いことも多い気がします(これは私の偏見かもしれませんが)。
月給17万円×月22日勤務で、今の時代に一体誰が応募するのでしょうか?
そんな中でも応募してくれた人を、「熱意が足りない」って・・・色々ツッコミたくてたまらないです。
「熱意を見せろ」は100歩譲っていいとしても、お返事は「いや、この会社には熱意を見せられません」なんだよなぁ・・・100万円くれるなら熱意を見せるかもしれないけど、安い給料・古い体制の会社に「働かせてください!」って熱意を見せる人がどこにいるのだろうか・・・って思ってしまう。
ギブ&テイク、等価交換なのだ
何かで得られるものの価値と、その何かへ向かう熱意って、イコールだと思うのです。
「熱意をアピールしてくれない」への答えは「熱意をアピールしたくなるようなものではない」だし、「それが欲しいと思って人が集まる」ものには「人が集まる理由があり、価値がある」のです。
「大して良くないけれども、人が集まってくる」というのはいずれは人が離れていきます。
だから、「うちの会社にはロクな社員がいない」への答えは「ロクな奴は来ない会社なんですね」ですし、「オンラインサロンでは受動的な人しか来ない」への答えは「能動的な人はそもそも寄ってこない場所ですよね」なのです。
タイトルでは「否定できなくなった」と書いたのですが、この両者は結局やっていることは同じですが、「募集する側が提供できる価値」が違うと思いました。
「人を動かす」ためには、動かしたい側がちゃんとアピールできるものがなければいけない。
履歴書ジジイと、前澤氏の一件で、私はそんなことを思ったのです。
こちらもどうぞ
www.dokudamiyoshiko.com