ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

やらされるから「不自由」で、自分でやれば「自由」、ただそれだけなのだ

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

お正月、ダラダラ&ゴロゴロしながら「社畜」「脱社畜」について考えを巡らせていました。

 

 

脱社畜という言葉の無意味さ

私は、いくら考えても「脱社畜」という意味がよくわからないのです。

 

だって社畜なんて、やめようと思えばいつでもやめられるものなのに、なぜサロンに入ったり脱社畜宣言をしたりしなければいけないのでしょうか?

『関白宣言』みたいな感じの意思表明なの?

 

もしも、自分の今の状態が社畜だと思うんだったら、次の日から、いや、今この瞬間から「社畜じゃなくなろう」と決めて動けばいいだけじゃないですか?

 

それを、「今の仕事を辞めたら生活できないから」とか、「養っている家族がいるから」とか、「自分が辞めたらみんなが困るから」とかで、だからやめられないと言い訳している。

そんなこと言ってるから社畜とか言っちゃう状態になるんじゃないの?と思うのです。

 

 

独立=脱社畜ではない

脱社畜・脱社畜と叫ぶ人たちは、何を目標にしているかと言うと、フリーランスとして独立したり、事業・起業など、とにかくサラリーマンじゃない生き方、雇われない生き方のようです。

でも、独立をゴールにするのって、なんか違うと思うんですよね・・・

 

さらに言うと、独立したら社畜状態じゃなくなるかというと、それも疑問なのです。

 

たとえば私が独立したあとに、日々の稼ぎを得ようとして、あくせくするようなら、それは社畜と同じ状態なのです。

1日14時間くらい家にこもってブログを書いたり、サロンとやらで情報収集したり、Twitterのツイート回数とかでノルマをもうけて、面白くもない人生観とか語らなければいけないでそれを「有益」と言い、ネット有名人をヨイショし、何だかんだで「色々なコトに縛られている」状態になっていたら・・・

サラリーマンとして色々なことに縛られて、窮屈な気持ちで働くのと、一体何がちがうのでしょう?

 

 

やらされ感を感じると、不自由になる、ただそれだけ

結局、社畜かどうかというのは、その人の感じ方一つで変わるのです。

自分が「この仕事は自分がやりたいからやっている」と思えば、どんな雇用形態であろうと自由に働くことができるし、逆もしかり。

だから、会社員かフリーランスかというよりも、自分が自由に働けているかどうかを意識した方がいいし、自由に働けていないならどうすれば自由だと感じるのかを考えた方がいい、ただそれだけじゃないの?と思うのです。

 

 

他の人が休んでいるときに仕事をする人は伸びる?

この、脱社畜うんぬんの話を書こうと思ったきっかけは、「脱社畜したければ年末年始にサボるな!怠けるな!ここで差をつけろ!」というツイートを、長期休暇前になってからチラホラと見たからです。

 

仕事をした時間数で周りと差をつけるってさぁ、それ完全にブラック思考なんですけど・・・

休むときにちゃんと休む、メリハリのあるライフスタイルがしたくて「脱社畜」とか言ってるんじゃないの?

脱社畜するために社畜みたいな働き方をせよって、本末転倒感がハンパないんですけど・・・

 

 

働きはじめのライフスタイルは、染み付いてしまう

こういう話をすると、「最初は、時間をかけないとうまくいかない。軌道にのったら労働時間が減り、どんどん楽になるから」と言う人が出てくるかもしれません。

 

でも、それにも私は異を唱えたい。

なぜなら、私が働きはじめて、なんとか仕事ができる=軌道に乗ったあとに、一番苦労したのが、1日12時間労働で達成率100%なのを、どうやって1日8時間労働で達成率100%にするか?という問題だったからです。

労働時間を3分の2にしながら、どうやって今までと同じパフォーマンスをするか?です。

 

そして、それをするためには、これが必要になります。

「今までの仕事のやり方を、根本から変える」

・・・って、また働き方改革をするってことじゃないですか。

 

しかもそれは簡単ではありません。

「今までの仕事のスタイルを変えたら、達成率100%なんて行くわけない」という自分の思い込みがあるし、「いつものやり方はこうだった」というルーティンを変更することでリズムが狂うし、業績が下がるかもしれないという恐怖感と戦わなければいけないのです。

だからこそ、初めから働くときは働く!休むときは休む!をカッチリと決めて、続けるということが大切だと思います。

 

 

何のために?を忘れてはいけない

「脱社畜」という言葉を発する人は、その言葉が持つ「ミラクル」「ワクワクドキドキ」「生活がガラリと変わり新しい自分に変身できる」に、魔法のようなものを感じているのかもしれません。

しかし、仮にサラリーマンを辞めるとしても、それは「手段」でしかありません。

何のためにフリーになるのか?自分がどんなライフスタイルになりたいのか?

そこがズレないように、自分の意志でやってる感を大事にしながら働けば、「社畜」なんて言葉も、「脱社畜」なんて意味不明ワードも出てこなくなるのではないかと思います。

 

 

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