ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

日々、雑念にまみれて生きています

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

冒頭から、懐かしの脳内メーカーでお送りします。

 

・・・全部「秘」ってどういうことなのでしょうか?

 

maker.usoko.net

ちなみに、本名だとこんな感じです。

 

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なんか見透かされているような気がする。

 

そんな私ですが、昔、ピアノの先生に言われたことがありました。

雑念が多すぎると。

今回はそんな雑念まみれで生きていることをだらだらと書いていこうと思います。

 

 

集中しようと思えば思うほど、集中力がそれていく

ピアノの先生に、よく言われました。

「ピアノにもっと集中しなさい」と。

 

「今、違うこと考えてたでしょ?」

「はい」

「その意識を、ピアノに向けて。全神経を指に集中させるの」

「はい」

 

素直な私は、先生の言う通り、ピアノに意識を集中させようとします。

(集中集中集中・・・シュウチュウってなんか動物か虫の名前っぽいな、魚貝類もいそう)

(指に意識を向けて・・・霊丸打てるようになるかもしれない、そしたらピアノ壊れちゃう、どうしよう)

とにかくこんな感じで、別のことがどんどんわき出てきます。

 

「雑念を消そう、雑念を消そう・・・」という風に考えると、また別の雑念が出てくるのです。

 

昔、マラソン大会に出ていたこともありました。

マラソンは長い時間走っているだけのように思うかもしれませんが、半分はその通り。

でも残り半分は、自分の体力を残しつつ相手を消耗させるかなど作戦を立てたり、いつスパートをかけるかなどのレース展開を考えたりと、考えながら走っています。

 

しかし私は雑念の塊。

 

ずっとマラソンのことだけを考え、集中なんてすることができませんでした。

何をしていたか?

前を走る人の4ケタのナンバーカードを見て引き算をしていました。

ちなみにこの習慣は今でも続いており、車を見るとすぐ引き算をします。

「・123」など、3ケタの場合は-22だなと一瞬でわかるくらい、マイナスの計算もできるようになりました。

 

 

 

雑念まみれにも、メリットがあるのかもしれない

そんな風に雑念にまみれながら生きてきた私ですが、この雑念まみれにもきっといいことがあったと思います。

 

例えば、このブログ。

 

私は今のところ毎日ブログを更新していますが、幸いにして、ネタ切れにはなりません。

なぜなら、常に何かしら考えていて、何かしら書きたいことが出てくるからです。

 

一つのことを思いついてブログを書いていると、また別の雑念が生まれてきます。

その別のことをブログのネタにして書いているうちにまた別の・・・と繰り返していたら、気づいたら記事は500を超えていました。

1年は365日で、ブログは毎日続けていて、もうすぐ1年半ですからね。

そりゃ、そうなりますね。

 

 

ブログを書くことを思い付いてよかった

ここまで書いて、突然こう思いました。

 

ブログやっててよかったな、と。

 

これまで色々と考えながら生きてきたんですよ、一応。

でも、それをまとめる場とか、発信するツールって使ってなかったんですね。

SNSって短文だし。

 

mixiでゴリゴリ書いていた大学時代以来、私の雑念はどこにも吐き出されることがないまま消えていたのですね。

それが、このブログでブワーっと書くことができる。

記録に残すことができる。

なんか、すごく、いいな・・・ってしみじみ思いました。

 

 

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