こんにちは、ドクダミ淑子です。
前回の名探偵コナンを見ていて、思ったことがあります。
「何で気軽に他人の家に入るんだろう?」
2回連続、他人の敷地に無断で入っている少年探偵団
直近2回のストーリーは、他人の敷地に入り込む少年探偵団の様子が見えます。
コナンは元太、歩美、光彦と半月前から工事を中断しているマンションの建設現場で野球をする。北側の囲いの外側にある洋館の2階からは誰かが双眼鏡でコナンたちの様子を窺っていた。元太が打った球は北側の囲いを越え、洋館の塀の方に飛んでいく。コナンたちは球を取りに行くが、マンションと洋館の間の路地に球はなく、洋館の敷地内を探す事に。コナンたちは表門の方に回り、家主の綿貫義一に事情を説明するが、綿貫は庭に入る事は許さないとコナンたちを追い返す。
コナンは光彦、歩美、元太、灰原、阿笠博士と公園でサッカーをする。この時、元太はボールを取りに行き、民家の窓際で胸にアイスピックを刺されて倒れている河合信蔵を発見。コナンたちは玄関のドアを激しくノック。妻の河合優子がドアを開けると、コナンは信蔵がいる書斎へと急ぐが…。窓からの死角には柴田健介も倒れていて、コナンは信蔵と柴田がすでに絶命している事を確認する。
「最近の公園って、サッカーとか野球とかできないらしいよ、世知辛い世の中だねぇ」なんて言ってしまうババア世代の私ですが、コナンを見ていると、それも納得してしまいます。
他人の敷地で遊んだり、人のうちに気軽に入るような無神経さだから、事件に巻き込まれるんだよ!
空き家に入ることから悲劇が始まる、呪怨
同じようなことが、呪怨でも言えます。
呪怨のストーリーは、空き家に入るところから始まります。
というか、敷地に入ることで呪われて、しかも第一の被害者を探して第二・第三の被害者が出て、最終的にはほぼ死ぬというストーリーです。
夫が呪怨シリーズが好きで、ほぼ全部観たのですが、観た後に思うのは、いつも同じ感想。
「他人の家に入っちゃいけないと思う」
だって、呪いにかからない一番良い方法は、「家に入らない」なんですもの。
それがなぜか気軽に他人の家に入っちゃうから、呪われる。
しかも入った張本人だけが死ねばいいけれども、その友人・家族・恋人なんかが大体死んじゃう。
まぁ、入らなければストーリーは始まらないのだけれども。
リングも、気軽にビデオなんて見ちゃうから始まるんだよ
リングも同じですね。
気軽によくわからないビデオを観ちゃうから、呪われる。
最近のものだと、ビデオがもう主流派ではないのにも関わらず、ビデオデッキを探してまで見る。
その情熱があるから、呪われてしまっているといえるような展開もありました。
拾ったビデオに何が写っているか?
呪いのビデオではなくても、恐怖しかありません。
何かおぞましいものが写っているかもしれない、グロイかもしれない、知りたくない内容かもしれない、そんなものを拾ってみようとする・・・その好奇心は間違っていると思うのです。
結論:好奇心の方向を間違えてはいけない
探検とか冒険とか、いくつになっても楽しいものです。
でも、それが他人の領域を覗き見るようなものになってしまってはいけない。
呪われてしまったり、殺人現場に遭遇してしまうかもしれないのです。
しかも、自分一人ではなく、周りまで巻き込んでしまうかもしれない。
ちょっと覗いてみたい、あの空き家が気になる・・・
そんな思いは、どうか周りの人のためにも、グッと飲み込んでいただきたいと思いました。
ちなみに、前回のコナンでは、元太くんはそんな反省などかけらもなく、「早くサッカーしようぜ」とサッカーに戻っていました。
やっぱり、彼らの中では、殺人事件なんて日常茶飯事なんですね。
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