ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

ババアなので日本語の乱れが気になる、間違った日本語を徹底的にディスる

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

私は育った家が割と厳しめだからか、国語が好きだからか、日本語の乱れに敏感に反応します。

・・・世の中ね、間違った敬語があふれているのよ。

でも、「間違っている!」と叫ぶのは野暮だし、本題とは関係なかったりするし、偉い人だったり、そもそも会話できない存在(車掌)だったりするので、普段言えないのよ。

そこで今回は、普段から気になっている日本語の乱れと、その不満をぶちまけたいと思います。

 

その1:「ら抜き言葉」。でもこれは最早定着しつつある。

まずは定番。

ら抜き言葉ですね。

「食べれる」「着れる」「見れる」「出れる」などなど、本来「食べられる」「着られる」「見られる」「出られる」など「ら」が入るべきところが抜けてしまっているという言葉遣いです。

しかし、こちらはもう定着しつつあり、今更ギャンギャン言ったところで、もう止まることはないでしょう。

私も無意識でブログで使っているかもしれないしな。

 

その2:ブログの「合わせて読みたい」の謎。誰が?何を?意味不明・・・

日本語の乱れとは違うかもしれないけれども、私がほかの人のブログを見て意味不明だと思ったのが、「合わせて読みたい」って言葉。

読者の気持ちを表現して、「合わせて読みたい!」って読者が思っているってこと?

そうじゃなくて、「合わせて読んでほしい」と筆者(ブロガー)が思っているんじゃなくて?

何で「合わせて読みたい」なんて不思議な日本語を突然自分のブログに載せることができるのか?ブロガーとやらの日本語・言葉に対する意識の低さに、ババアは警告を鳴らしたい。

 

とあるブロガーさんは「合わせて読まれたい」って書いていたけど、おそらく同じ疑問を持ったのではないかと勝手に思っている。

そして、最近は「合わせて読みたい」も減ってきたのでいい流れだなと思っています。

 

その3:やたら文字数の多いプレゼンテーション

先日参加したとある会のプレゼンが、全然頭に入って来なかったんですよね。

で、なんで頭に入ってこなかったのかを真剣に考えたら、以下の結論が出ました。

 

「文字数が多すぎて、本題よりもノイズの方が多い」

 

例えば、こんな感じです。

 

「私共は、~させていただいておるのですが、マーケットの状況といたしましては~と判断せざるを得ない状態でありまして、まことに僭越ながら、今後の方向性といたしましては、~を行いたいと考えさせていただいております。」

これがずっと続く・・・無駄な文字数多すぎ!

 

だって、上の文章って、わかりやすくしゃべるとこんな感じになります。

「私共は、~しているのですが、マーケット状況は~なので、今後は、~をします。」

 

3分の1で済むやんか!!

削ったのは、無駄な敬語・無駄な枕詞ばかり。

この無駄な文字があることで、内容は変わらず、文字数を3倍にしているのです。

脳は話を聞きながら、どうにか要約をしていたのですね。

プレゼンが終わった後、脳みその疲労感がハンパなかった理由がよくわかりました。

 

「させていただく」も、文字数が多いだけの無駄日本語だと思っています。

 

その4:謎の「いたす」

これは車掌さんなど、電車・駅でのアナウンスで多いのですが、とりあえず「いたす(致す)」って言っておけばOKみたいな風潮も気にくわないのです。

例えば、駅で言うと、こんなシーン。

  • ただいま、霧が発生いたしております
  • 人身事故が発生いたしております
  • 人立ち入りが発生いたしております

「致す」というのは、自分がする行動をへりくだって言う敬語(謙譲語)なのに、霧とか人身事故とか、自分がやったことじゃないのに「いたす」って言うと丁寧っぽいというのが安易というか、日本語が何もわかっていないなぁと思ってしまうのです。

こういう間違った日本語に感化されてか、ゆとり後輩は「致し」まくっています。

  • 見積もりをいたします
  • お問い合わせいたしまして、ありがとうございます
  • ○○様といたしましては、コストを重視いたしているようですが
  • 私といたしましては

日本語が乱れすぎていて、何が正しいのかがわからなくなってきます。

「させていただく」と「いたします」は絶滅したほうがいいのではないかと思ってしまう。

 

自分だけは、正しい日本語を意識し続けていきたい

色々と書きましたが、ここまで日本語の乱れに敏感になっている人って、あまりいないのかもしれません。

変な敬語の大人なんて沢山いるし、むしろ敬語が全く使えないような人もいるし、それでも世の中が成り立っている。

でも、私は自分だけは正しい日本語を大切にして、自分の発する・書く日本語には、リズムとテンポと正しさを意識していきたい。

 

普段うるさく言えないことなので、ガーっと書いてすっきりした、ドクダミ淑子でした。

 

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