こんにちは、ドクダミ淑子です。
「疲れているなら、今日のご飯はそうめんでいいよ」
こんなセリフが定期的に炎上しています。
私はこういう戦争を見るたびに、どうしても「なんか大変だなぁ」と思ってしまいます。
面倒臭くない料理が好きです
私は極度の面倒臭がり。
4歳が真似するので最近は控えていますが、何をするにも二言目には「面倒臭い」が出かかるタイプです。
当然、ご飯を作るのも面倒臭い。
でも、その一方で、食べるのが好きだったり、変なところで研究熱心だったりするので、料理を作ることが苦痛で仕方がない、ということにはならなかったりする。
・・・というか、面倒臭い料理を作らない、自分の実力で無理なくできる範囲のものしか作らない、外食や惣菜はガンガン買う。
そんな感じなので、「そうめんでいいよ」についても、そこまで「は?そうめんで良いってどういうことよ!?素麺茹でるのも重労働なのよ?」とかキレることはない。
ただし、茹で時間が長すぎたり水の量が少なすぎて固まったとしても、そこは何も言わないでいただきたい。
そこで文句言われたら多分キレる(けれども夫は文句をいうタイプではない)。
素麺茹でて、めんつゆかければOKだけれども、ちょっとアレンジしたいな〜ごま油に酢醤油、すりごまも振っちゃう? あ、最近ハマっているザクザクわかめをちょっと足したら美味しそう・・とか、色々考えて結局なんか色々のせた素麺とか、なんかもう一品くらい追加したりしたものが出来る。
そんな感じでテキトーにやっているから、そうめん「で」という言葉で炎上するような方々とは、料理におけるスタンスが全然違うんだろうな、と思う。
私の作るものは「そうめんで」と言われてもキレるほどの労力を使っていないのに対して、キレる方々のものは手の込んだ素麺なのだろうと思う。
茹で方とか、水での締め方とか、盛り付けとかトッピングとか、その他諸々で、私の考える素麺とは違う次元のものを作っているのだろう。
大雑把の方がコスパがいい気がする
ただ、そのへんで思うのは、そうやって「そうめんで」という言葉でキレるのは、コスパ悪いんじゃないか?と思ってしまう。
わかるんですよ、「お前がやれよ」っていう気持ちは。
でも、「そうめんでって言うならお前がやれよ」って言いたくなるような旦那って、結局何もやらないじゃないですか?
キレて、喧嘩して、結局何もしなくて、最終的に自分が素麺茹でるなら、最初っから素麺茹でちゃえばいいじゃんって思ってしまうんですよ。
面倒臭がりだから。
「はいはい、そうめんで、ですね。それネットで炎上するやつな〜」と言いながら、フライパンで素麺茹でて、水少なくてちょっと固まる・・・とか、そういう感じでやっていった方が、キレる頻度が少なくて生きやすいな、と私は思ってしまう。
実際、そういう感じで「はいはい」とさっさと作業してしまう。
あとは「そうめんで」でキレるくらいに疲れているなら、さっさと家事担当を放棄して寝室に立て籠もるなり家出するなりしてしまえばいいと思うんだよな。
それでも子どもに何か食べさせたりすることを考えない旦那だったら、もう壊滅的に相性が悪いから、一緒にいる意味を問うたほうがいいと思ってしまう。
まぁ、こういうこと考える妻に、何もしない夫がセットにならないんだけどな。
ギリギリで生きないために
家事育児が大変だとか、体力がなくてつらいとか、そういう人が、なぜか冷凍食品やスーパー惣菜を極端に嫌って手作りにこだわっている例を時々見かける。
そこまで大変ではないけれども冷食やスーパー惣菜を選択肢として常に持ち続けている私からすると、そういうことで自分の首を締めている方々は、もっと楽になれる方法を考えてほしいなと思ったりもする。
義母なんかも、もう40歳くらいの子ども達のために大量のサンドイッチを作ろうとするから、「みんな好き嫌いとかうるさいんで、食パンと具材をテーブルに置いて、自分達でやってもらいましょ!」とクソ嫁(=私)はセルフ方式を導入したりした。*1
まぁ、子どもだとそうもいかないことがあるけれども、似たような感じで「もっと楽になれる方法」っていうのはあると思うんだよな。
旦那さんの料理なんて特に。
素麺茹でてドーンと置いて、あとは自分で味付けしてね!とかやれば、あっという間に素麺パーティーになるし。
そうやって「手を掛ける」で自分を追い詰めないように、「そうめんで」でキレないように、なんかもっと楽にやればいいじゃん・・・とズボラな私は思うのです。

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*1:ちなみに義母は「パっと食べられるから作っておいたほうがいいやん」と最後まで反対されたが、セルフ方式でなんの問題もなかったし好評だった。