こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、こんなツイート(ってまだ呼び続ける)が目に入りました。
「お休みのところすみません。明日15時まで入れませんか?」
— ろーみ店長 (@lowmi_diet) March 22, 2024
とシフトの変更をお願いする連絡をすると、
「お疲れ様です、大丈夫です。明日、予定があるので出れないんです、すみません」
って返してくる若いバイトさん…これ私はいつも騙されるんだけど、何この日本語。若い子これで通じるの?学力↓
それを読んで私は、「こんなことで感情がジェットコースターになっちゃうの?」と心配になりました。
シフトに入れる→入れない
いや、わかるんですよ。店長としてはシフトに穴が開くことが困ることだってことは。
この日・この時間に人員が配置できないことで色々な損害はあるだろうし、コンビニは「人員がそろわないので臨時閉店」みたいなことはできない。
とにかく人がいなくても店は開けなければいけない。
そんな中、シフトに入れるか聞いたら、「大丈夫です」と返ってきてホッとした、いやジェットコースターなので高く上がった瞬間、「入れません」と読んで急降下・・・ってなるんでしょ?
わかるんだけれども、でも「そんなことで?」なんですよね。
仕事に力を入れ過ぎていないか?
私は、いち平社員として仕事をしているからかもしれないけれども、時々「仕事に熱が入り過ぎていやしませんか?」みたな人に出会うことがある。
いや、仕事に力を入れることは悪い事じゃないんだけれども、それが頑張り過ぎると「私がこんなに頑張っているのに、お前は頑張らないとは何事か!?」みたいな方向になってしまう人もいて、それは問題だなと思う。
仕事を頑張る自由があるのと同時に、頑張らない自由もあると思っていて、その「頑張らない自由」を取った人は昇給昇格はないというデメリットも享受しなければいけないかもしれないけれども、「仕事フルコミットの人と同じくらい頑張らなければいけない」みたいになるのはちょっと違うかな・・・と思っている。
でもそれは、私が「経営者思考」ではないからかもしれないし、のん気な時短勤務オバサンだからなのかもしれない。
とにかく、「シフトの空きを埋めてくれる人が出てきた・・・かと思ったらダメだった」だけで感情がジェットコースターになるのは、仕事に熱を入れすぎだと思う。
年を取るほど「自分の常識」に縛られない
あと、これって「お休みのところすみません」という枕詞(だと店長は思っている)に対して、「(お休みだけど連絡してきた無礼を)大丈夫です」と、返答しているだけで、別にバイトさんが間違っているというわけでもない。
大人になれば挨拶代わりで「お疲れ様です(≒こんにちは)」みたいな言い方するけど、この子の「お疲れ様」は本気で労ってくれているのかもしれない。
先日、授業中に水を飲む生徒に苦言を呈して「目上の教師の前でモノを飲むなんてけしからん!」みたいなことを言っている人がいた。
たしかに体育会系企業の私の職場でも、上司が喋っている真っ最中に何か飲めば叱られるかもしれない。
けれども、話者が一息ついた時に、本人だって水を飲むし、「このタイミングなら行ける」という時は聞いている方も飲む。
「授業中に水分は摂らない」が常識だと思っている人もいるかもしれないが、それはどんどん変わってきている。
ラインの件もしかり。
若者の文章でのコミュニケーションは変わってきているのだ。
・・・と、社内チャットを見ていても思う。
年を取れば取るほど、「自分の常識」「自分の経験」に縛られないように生きていかなきゃなぁ、と私は思う。
こちらもどうぞ