ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「私の学費は国が払うべき」と言える人がすごいと思ってしまう


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

昨年の10月に、奨学金の返還が終了しました。

実家の母から返還証の写真が送られてきて、実物も少し前に受け取り、「今まで払っていたのか」と言う気持ちと、「もう終わったのか」という気持ち。

大学在学中の4年間で月3万円ずつ借りたものを15年半で返したのか・・・としみじみしました。

 

そんな中、「奨学金帳消しプロジェクト」みたいなニュースが流れてきました。

私はこれを読んで「むむむ・・・」と思ってしまいました。

奨学金返済、人生の重荷に Z世代が延滞者ら支援 | 共同通信

 

 

「あなたの学費は、社会にとって価値があるのか問題」になってしまう

この、「私の奨学金を帳消しにしろ」という人達は、それぞれ様々な事情で借りてきた奨学金に苦しんでいるというのはわかります。

 

でも、それを「私が借りた金を返すのは私ではない!」と言い切れるのはすごいな・・・と思ってしまうのです。

 

だって、まず「私が大学で学ぶのは、国や社会にとって価値がある」と言えるってすごくない?

それがしかも、社会に出てから奨学金の返還ができないくらいの収入の人が・・・ってここに矛盾があるんですよね。

 

低収入で奨学金が払えないくらい困っている人ってことは、その人が払っている税金だってそんなに多くないわけで、そんな状況なのに「私が大学で学ぶのは国のためになる」「私の学費を払うのは私じゃない誰か」って言っちゃうんだ・・・ってことに矛盾も何も感じないというのが、私は怖いなと思った。

 

 

「あなたに奨学金を払う価値があるかどうか」を見られないのが貸与型

そういう、「お前に奨学金を払う価値があるのか?国のために貢献するのか?ちゃんと将来奨学金を上回るような税金納められるのか?」みたいなことを厳しく見られないということに、「貸与型」が存在する意義があるんだろうな・・・と思う。

 

私なんてパッパラパーの学生生活を送らせてもらったので、それに奨学金を出してくれたなんて逆にありがたいなぁと思うような人間なんだけれども、むしろそう思っていないのに奨学金を払えない人達って、よっぽど高い意識があり、その意識は本人の実力とかけ離れたものだったのだろうなと思う。

そんなにたくさんお金借りて大学行ったのに、奨学金を返還できないくらいに稼げないってヤバくね?と自分で思わないのだろうか(思わないから運動しているんだろうけれども)。

 

ただ、「そういう人」ほど、大学を出ていた方が何かと役に立つとも思う。

超人は、高卒だろうと中卒だろうと頭角を現して社会で活躍するだろうから、学歴なんて関係ない。

資格やスキルがある人も、別に大卒でなくても専門学校を出ているとか、しかるべきところで修行をしているとかなら、学歴はあまり関係ない。

でも、そうじゃない凡人の方こそ、「とはいえ大卒だからなぁ」と思わせることが大切なのだ。

今の日本で、人生をより良くするためには、奨学金借りてでも、「大卒」になるというのは悪くない手段だと思う。

 

問題は借り過ぎてしまうことと、何かの事情で働けなくなって返すアテが無くなってしまうこと、そしてそれを自分ではなく「社会のせい」にすることなのだ。

 

 

他責思考と自己評価

こういう、「私が奨学金を払えないくらい稼げないのは、私が悪いのではなく社会が悪い」という考えの人って、さすがにそんなに多くはないと思うけれども、こういう「他責思考」みたいな人は増えているのかもしれない。

 

あと、「物事の構造」とか「その背景」とか「もしもこれが無くなったらどうなるか?」みたいなことを考えないで、「今、私が、困っているの!」という面しか見えない人たちも。

 

あと、自己評価だけが高くて、実際の実力がどうかは見えない人。

・・・って、大学入る前から、なんとなく自分が優秀かそうではないかってわからない?とも思うけれども。

 

学生時代には「自分の実力」なんてわからないかもしれないけれども、それでも奨学金を借りたら何年間・どのくらいの金額を毎月返済しなければいけないかは理解して借りるべきだし、借りたからには踏み倒す活動に力を注ぐよりも、返すために何をするか?を考えた方がいいんじゃないかな・・・と思う。

 

まぁ、そういうことを考えない人達だから、こうなっちゃうんでしょうけれども(以下ループ)。

 

 

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