ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

手のひらからこぼれ落ちてしまう幸せを受け止めるために、書く


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

某インフルエンサーについて書いている時、どうしても「幸せってなんだろう?」と考えてしまいます。

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幸せとは?

・・・なんでしょうね?

 

 

幸せは2種類ある?

いろいろ考えていくと、私が感じる幸せって2種類あると思って。

 

1つ目は、仕事で何億円もの受注をした瞬間とか、MVPが確定した瞬間とか、子ども時代だったらピアノのコンサートで弾き切った瞬間とか、試合に勝った瞬間とか・・・まとめると「達成感」に近い幸せ。

身体の奥からぞわわわ・・・と何がが込み上げて、というか押し寄せてきて、ドーンと弾けるようなタイプの、幸せ。

語れるようなエピソードがあることが多いから、共有しやすいし、自慢しやすいし、覚えておきやすい。

 

そしてもう1つは、子どもの寝顔を見ている時や、一緒に遊んでいる時、お互いちょっとうとうとしながらピタっとくっついてまどろんでいる時などなど・・・「達成感」とは程遠いタイプの幸せ。

身体の中からぽわっと温かいものが湧き出てきて、そのまま空気になってふわふわと消えてしまいそうな、幸せ。

こっちは、細かい話過ぎて、なかなか語れないし、自慢するものでもないし、記録に残しづらいから覚えておきづらい。

 

そんな2つの幸せの、別にどちらが良い/悪いって話ではない。

ないんだけれども、「後者をもう少し大事にした方が、人生の満足度が上がるんじゃないかな」と思うような人に出会うこともあるなぁ・・・なんて思ったのです。

 

 

「小さな幸せ」の大切さよ

後者の「達成感はあまりない、些細だけれども温かい幸せ」とでも言えるものを大事にした方が良いと思うのは、そっちの方が自分の視点を変えるだけで簡単に感じられる幸せだから、でしょうか。

 

「達成感」「他人に自慢できるストーリー」のある幸せって、そうそうやってこないんですわ。

毎日数億円の契約を貰える人がいれば、それはそれで羨ましいけれども、実際はそうではないし、仮にそうであったとしたらその人は「1億の仕事は当たり前、100億以上じゃないと達成感を感じない」ってなるんですわ。

 

ちょうど、こんな感じ。

 

出典は・・・芸能ゴシップに詳しい人ならご存じですかね?(ヒント

よく読むと、Qに対してのAになってないですね、どうでもいいですけど。

 

話が逸れそうですが、とにかく「達成感をともなうような幸せ」って、時間がかかるしハードルもどんどん上がっていくし、それはそれで楽しいんですけれども、キリがないんですわ。

 

だからこそ、それも楽しみつつ、日々の生活の中で幸せだなぁと感じることを積み重ねることも大事にした方が良いと思うんですよね。

家族とか、自分自身のこととか、出来るだけ「他人の目線なんて関係ない、私が幸せだと思うから幸せなんだ!」と思えるジャンルのことで。

 

 

手のひらからこぼれ落ちてしまう幸せを受け止めるために、書く

最近、そういう忘れがちだけれども幸せに感じた出来事を、書いておくっていうことはとても大事だなと思うようになりました。

 

公園行ってすべり台で遊んだよとか。

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その時は当たり前だった公園ライフですけれども、もう平日の昼間に出かける機会なんてほとんどなくなってしまった。

そして、「機会が無くなって」から、その貴重さに気づくし、その頃には細かいエピソードなんてすっかり忘れている。

 

私は今は日記を書いていません(というか、3日坊主で続かないんですよね、ブログは1500日以上続いているのに)。

ブログでも日記でもSNSでも何でもいいんですけれども、とにかく書き留めておく、些細なことをできるだけその温度感のあるうちに書いておくことが大事だと思ったのです。

 

 

「幸せを感じるセンサー」が鈍っているだけでは

さて話は、冒頭のインフルエンサーの話に戻しましょう。

現状、「ぼんやり」「自分はこれでいいのかな」などの発言から、私には彼女があまり幸せを感じていなさそうに見えるのですが、それは達成感のある幸せを得たいと思ってもそうそう得られないからではないかな?と思えるのです。

 

もしかしたら、SNSという「数」「比較」の世界で幸せを出していることの弊害もあるかもしれないな。

「この幸せはたったの3000いいねか・・・」みたいな(3000いいねでも十分すごいのに)。

 

慕ってくれるファンがいて、家族がいて、自分のお母さんとの関係も良好、素敵な友人もいる・・・このことをもっと「幸せだな」と思えたらいいのになぁと思う。

けれども、彼女は現在「誹謗中傷」と戦って、「アンチを殲滅させ、アンチに制裁を下すッ!」みたいな方向へ行っているんですわ。

本人は普段意識していないかもしれないけれども、やっぱり意識の底には澱(おり)のように溜まっていると思うぞ。

 

一度、誹謗中傷の裁判を全部取り下げてみて、1週間くらいSNSを断ってみて、ネットがない生活に身を投じてみたら・・・大きく変わりそうな気がするし、その中で書いたものは今よりも深みがあるものになると思うな。

そんなこと、絶対にしないだろうけど。

 

 

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