ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

誰が「困難な人」を支えるのか


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日、なかなか胸糞なオチのサスペンス小説を読んだのです。

最後の1ページがそれで、しかもどんでん返し系だから、タイトルは書かないでおくけど。

 

それを読んでいて、「信じてもらえている自信があるから、裏切ることが出来る」なんてことを考えてしまった。

 

 

人間不信の人に、唯一の信じられる人が出来たら

それは姉妹が出てくる話で、少し年の離れた妹と、家を出た姉が久しぶりにあったら、妹がとんでもないことになっていて、家族との仲もギクシャクしていたという内容でした。

姉は、最後の最後まで「妹がそんな悪いことをする子じゃない!」と信じ続けて、 守り続けるんだけど、最後の最後に裏切りを感じるような描写があって、「ああ・・・」ってなりました。

 

誰もかもに疑われ、様々な噂を流され、親でさえも見放してしまった妹。

彼女を最後まで愛して信じていた、姉。

端から見ていると、「お前、そこまでしてくれた姉を裏切るんかーい!」ってなるんだけど、また反対の端から見ると「まぁ、そうなるかもしれんな」と思った。

 

疑われまくって何も信じてもらえない人からすると、信じてもらえているからこそ裏切ることが出来るのだ。

 

 

信じられる安心感が裏切りに繋がるという皮肉

きっと、家庭内暴力とかも同じことがあるのだろう。

 

暴力を振るう側からすると、何をやってもこの人はついてきてくれると思えるから、安心して暴力を振るったり、暴言を吐いたりすることが出来る。

・・・やられる側からすれば、たまったもんじゃないけど。

 

そして、信じて裏切ったり暴力を振るった人に見放されると、また「信じられる人がいなくなった」と絶望する。

・・・いやアンタが酷いことするから逃げたんだが、と思うんだけど。

 

SNSの世界でも、同じ感じで、傷つきまくってもう誰も信じられないって状態になった人と、それでもその人のことを助けようとする人を見かけることがある。

でも、大体それは上手く行かなかったり、「信じてもらえているから安心して裏切れる」って感じになったりしているなぁと思う。

 

色々な意味で傷ついて、人間不信になっている人に、手を差しのべること、それに対しての次の展開を見ていると、よっぽどのことがないと、そういう人には近寄ったり不用意に手を差しのべてはいけないなと思う。

冷たいかもしれないけど、生半可な気持ちで接する方がお互いのためによろしくない。

 

 

自分が不安定なのに、社会を変えようと活動する人

少し話は変わるけど、私は日頃疑問に思っていることがある。

 

はあちゅうさんとか、トイアンナさんとか、あとは境野さんというキャリアコンサルタントを名乗る方とか、「自分自身の精神や家庭運営が安定していないのに、社会を変えるみたいな活動している人(と私の目には映る)」達って、どうして目の前の自分のことをどうにかしようとせずに社会やら日本やらのことを考えているのだろう?ということだ。

 

私なんかは、自分の仕事と家族のことでいっぱいいっぱいで、「社会全体を変える!」みたいな壮大なことを考えている余裕などない。

でも、そうやって自分の目の届く範囲をどうにか平和にやろうとしていることで、なんとか平和な生活は保たれている。

 

前述した人達は、私には「目の前のものが不安定すぎないかね?」と思えるのだ。

夫が有給を取ってくれない、夫が家事育児をしてくれない、夫が帰ってこない、産休3日で復帰しなければいけない、子供が暴れる・・・おいおい、そんな大変な状況なのに「社会を変える!」とか言わなくてよくない?

もっと自分のことを考えろだし、自分の問題をちゃんと「解決」なのか「折り合いつける」なのかわからんが、ちゃんと着地させた方がいいぞ?と思う。

 

これは、肢体不自由の障害者が国会議員になった時も思った。

なぜつらく苦しい思いをしている本人が矢面に立って活動しなければいけないのだ、そういう人が少しでも楽に生きられるように、時間も心も余裕のある人が彼らの声を聞いて動けばいいのに・・・と思うけど、それは「声が届かない」となってしまうのだろうか?

 

 

弱弱支援にならないように

色々考えていくと、この世の中は老人が老人を介護する「老老介護」みたいに、(様々な観点で)弱者が弱者を支援する「弱弱支援」みたいになっているのかもしれない。

 

でも、それって共倒れになるか、支援した人が損する世界になると思うのだ。

 

そうならないように、金銭面での「強者」が金を出し、メンタル面での「強者」がケアするようにできないだろうか?

 

・・・なんて思うんだけど、強メンタルの私は、子育てに忙しいし、中途半端に手を差しのべることへの躊躇があって、結局今は何も出来ない。

 

というか、「強メンタル」というのは、色々なことに無神経でいられる強さなのかもしれないな。

牛のことを考えずに牛肉を食べられる無神経、遠くの国での戦争や貧困を考えずに生きて行ける無神経。

そういう無神経なところがないと、世の中苦しくて生きていけない。

 

・・・とはいえ、繊細な人が同じく繊細な人の面倒を見るのは、共倒れになる可能性が高いと考えると、なんとかしてそれを防ぐ方法みたいなのを考えないと行けないと思う。

 

 

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