こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが少し前に、お気持ち長文(愛称:呪詛レシート)を書いていましたね。
これですわ、これ。
ざっくり言うと、こんな感じです。
「いいパパって褒められる人の裏にはいいママがいるのに、いいママは褒められない!ママの仕事って見えないところであんなことやこんなことやってるのよ聞いて聞いて~《以下略》《いつの間にかママ全体なのか自分の話なのかわからなくなってくる》ハァハァ…長くなっちゃうからこのへんで♪(もう十分長いし、もう夫もいないが)パパがやってくれるって家もあるかもしれないけど、私はそう感じているし、フォロワーさんの多くもそうみたいだから(反対意見は認めない)。でもまだまだあるんだからね!そこんとこヨロシク~」
アンサーとして、「うちは両立出来ちゃってるしパパもよくやってますわ」というブログを書いたけど。
そもそも、「いいママだと褒めてあげて!むしろ私を褒めて!」みたいなのが意味不明だなぁと思ったので、今回はその話を。
「いいママ」なんて周りに言われなくてもいい
タイトルの通りなんですけれども。
「いいママですね」なんて、周りから褒められる必要なんて、全然ないんですよ。
私の子どもにとって「いいママ」であればそれで良くて、周りから褒められてもけなされても関係ない。
むしろ、公共の場で私が子を叱り、周りが眉をひそめていても、それが子どもの為になるなら、それでいいと思う。
いつも優しく冷静にふるまい、周りから「いいママですね」と言われても、子どもが将来困らないような「躾」をしていなければ、全然意味がないと思うのだ。
私は、我が子にとって「いいママ」であれば、それでいい。
~Fin~
なぜ、「いいママ」と言われたいのだろうか
・・・なんだけど、もう少し続けましょう。
なぜ、「いいママ」と言われたいのか?
以前も書いたけれども、はあちゅうさんはとにかく他人からの評価(高評価のみ)を求めるタイプなんですよね。
息子を褒めるのと同じくらい、自分も誰かから褒められたいと言って韓国語教室に通ったりしていました(半年くらいで挫折)。
あとは、こういうタイプって、本当は旦那さんに褒めてもらいたいのに、旦那さんが褒めてくれないから(またはいないから)、周りに頑張っているアピールして褒めてもらいたいっていうのもあるかもしれない。
とにかく、私のように「自分が自分で頑張っていると思えばそれでいいし、子どもにとって”いいママ”とやらであれば、それでいい」というのと違う感じなんだろうな、と思う。
あとはね、家事が嫌いで嫌いで仕方ないんだろうな・・・
まだ旦那さんがいた頃、家事を可視化して感謝の気持ちを100円玉で表すみたいなことを書いていたけれども、たとえ簡単なことでも他人のためにやったことは全て「負担」なのだろう。
そういう、「自分に自信がなくて定期的に他人の褒めを欲すること」「本当はパートナーに褒めて欲しいこと」「家事が苦手でどんなことでも負担に思うこと」みたいなことと向き合って、それぞれに対策を取って行けば、もっともっと生きやすくなるんだけどなぁ・・・と思うんだけれども、彼女はそれをしないで、きっとまた呪詛レシート(愛称)をまき散らし続けるんだろうな、と思う。
いやぁ・・・再婚活頑張って欲しいですね!
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