ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

それは、心の距離感がバグっているのよ


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

安倍元総理が銃撃されて亡くなった、という事件と、それに対する人々のリアクションを見て「人との距離感」って大事だなぁ、と思った。

 

・・・というのも、誰、とは言わないけれども、「生きている時の映像をネットで探しては泣いてしまう」「涙が止まらない」「深夜2時半まで眠れなかった」と書いてあるのを目にして、少しばかりの違和感を感じのです。

 

なんだろう?この、家族でも何でもない人が亡くなった時に、悲しみを通り越して、まるで自分自身や自分の家族が失われたくらいの感覚になってしまうのは。

私は、「ちょっとショックを受けすぎじゃないか?」と思ってしまった。

それは私が冷たい人間だからなのだろうか?

 

 

もちろん悲しい、でも悲しさに打ちのめされてはいけない

たとえば、私だって、HYDEさんが、ラルクのメンバーが仮に亡くなったとしたら、自分の青春が、人生の一部が欠けてしまったような感覚になるかもしれない。

でも、そこまで思い入れのある人物ではない人が亡くなった時にも、同じように打ちひしがれていたら、生きていること自体がつらくなってしまうのではないか?と思うのだ。

 

もちろん、悲しいことは悲しい、とても悲しい。

だけれども、「自分の家族が亡くなったように悲しい」を、普段は思いを寄せることもない相手にも抱く、そして定期的に抱く、というのは、しんどいと思うのだ。

 

生きていればいるだけ、悲しい事件が起こり、いちいち打ちひしがれていたら、正直やってられない。

悲しい、けれども普通に生活しよう。

悲しい、けれども楽しいことに目を向けよう。

・・・そうやって、ある意味はぐらかしながらやって行かないと、自分自身がつぶれてしまいやしないか?

 

 

人との距離感を保つ、思い入れ過ぎない

・・・と書いたんだけど、最近の自殺+こころの相談ダイヤル、みたいにセットになっているテレビ番組やネット記事を見ると、私が「他人に対する心の距離感がバグっている」と思うような状態になっている人が、わりといるのかもしれない。

 

コロナ禍で相次いだ芸能人の自殺も、そういう人達のメンタルをどんどん削っていった気がする。

 

私たち人間には、そうやって「他人と自分を重ねてしまう」という機能が備わっているのかもしれない。

それは「共感」という、1つの生き抜く手段として備わっていて、時にはそれがバグって「後追い自殺」みたいなことになってしまう。

 

どうしたらよいか?

・・・多分、スマホの電源を切ろう、なんだろうな。

スマホには、SNSには、自分の気持ちを増幅させる効果があるから。

その増幅は、良い方向に進む場合もあれば、負の感情を増幅させることもある。

悲しい気持ちになっていたら、その悲しい気持ちを持っている人を探し、さらに悲しくなり、その悲しい気持ちを呟けばさらに共感の声が来て余計に悲しくなる・・・そうやって、「悲しい」が増幅されていくのだ。

 

だからやっぱり、その「思い入れ増幅スイッチ」を切る事が大切なんじゃないか?と思う。

 

それは、冷たい人間だと思われるかもしれないけれども、自分を守るためにも、とても大事なことだと思う。

だって、悲しくても、苦しくても、私には私の生活があり、私の人生があるのだから。

 

「共感するのが良いこと」と思うかもしれないけれども、過度の共感は、単に人との距離感がつかめていないだけで、過度に勝手に心の距離を近づけているのだと思う。

 

テレビの中の出来事を見るたびに、つらくてつらくて仕方がない人は、とにかくそういう情報をシャットアウトして、散歩に出かけようよ。

 

 

こちらもどうぞ

www.dokudamiyoshiko.com