ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚アラサー女、ドクダミ淑子の毎日

幼い頃の「あの日」は、もう戻ってこないのだ

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

Twitterで、たまに流れてきてグッとくることがあります。

それは、子育てが終わって少し寂しい気分になった母達のつぶやきです。

 

  • 誕生日を家族でお祝いしてたけど、「今年は友達と焼肉行くから」って言われた
  • 家がいつもぐちゃぐちゃだったけど、あの時はあれでよかったと今は思う
  • 毎日慌ててパニクって不安で泣いていた日々が、今となっては懐かしい
  • 子育ては一瞬で終わっていくから1日を大切にしたい

 

こんな話を読むたびに、自分の近い将来に思いを馳せつつ、自分自身の幼かった頃を思い出すのです。

 

 

土日は家族で出かけるのが嫌だった

我が家は仲が悪いくせに、休日の買い出しなどは全員でゾロゾロ行っていました。

みんなで行くから、大体何かしら起こり、何かしらケンカしていました。

子供の誰かが文句を言い、父か母がキレて、もう一方もキレて、みんなでギャーギャーと騒ぎ、車の中では険悪モード。

 

母はヒステリーになり、「もう降りる!」とか言って、赤信号で停まった車から飛び出すことも日常茶飯事。

そして、喫茶店でコーヒーを飲んで落ち着いて、何事もなかったかのようにケロリとした母を車で迎えに行く・・・そんな家庭でした。

(そこから帰って家でもケンカを蒸し返していたこともあった)

 

そんな感じだからいつ・どこにケンカの火種があるかわからないし、どこか別のところに行くと迷子になるから行きたいところにも行かせてもらえないし、帰る時間も決められないし・・・と、親に従いながらゾロゾロと歩くのが買い物でした。

旅行も大体そんな感じで、まず直前に母が「旅行なんて行きたくない」と言い、それでも行った旅行でトラブルがあり、ケンカする・・・それが旅行でした。

 

 

今は自分の意志でどこにでも行ける

今となっても、ケンカはいい思い出になりません、もちろん。

でも、親に連れられて、行きたくもない買い物に付き合わされて、でもたまにソフトクリームやお菓子を買ってもらえて・・・っていう買い物や、父の趣味でよくわからない史跡に連れていかれて、ボーっとしているような旅行はもうないんだなと思うと、それはそれでなんとなく寂しくなるのです。

 

というのを、ある土日、大型ショッピングモール1人で歩いているときに感じました。

 

親に引っ張られて歩く子ども。

ガチャガチャがやりたいとお願いする子ども。

寝てしまってベビーカーや抱っこで運ばれていく子ども。

 

パパもママも大変そうです。

「も~!太郎~、早く~、行くよ~!」とか叫んでいる人もいます。

でも、そうやって家族でゾロゾロ行く買い物も、人生のうちで限られた時間なんだよな・・・と思ったのです。

 

私は1人だったので、行きたいところにパパッと行けます。

便利だし、気楽だけど、そこには感情の揺れ動きはあまりない。

 

旅行だって、行きたいところを自分で決めて、自分で行く。

行きたくないところは「嫌だ」と言って、変えることだってできる。

 

それは自由だけど、なんだかちょっと寂しい気もする。

そんな風におセンチな(死語)気分になりました。

 

 

無理かもしれないけれども、噛み締めていきたい 

子育て中は、そんな感傷に浸っている時間も、家族でのゾロゾロも、楽しいなんて思えないかもしれない。

子どもからすれば、「当たり前のこと」だし、もっと自由になりたいと思うかもしれない。

でも、人生に巻き戻しはできないのです。

 

いずれ来る(と思う)、子育ての時期。

私はできる限り、毎日を噛み締めて・小さなことでも記憶に焼き付けながら、生きていきたいと思うのです。

それは、2人暮らしの今も同じだけどな。 

 

 

親孝行も意識していこう

結婚してからだいぶ意識はしていますが、親孝行も今のうちにしておこうと思います。

父も母もまだ元気だから、旅行にも行けるけれども、この先どうなるかなんて、誰にも分らないのです。

だから、大人になった娘と親の時間を作っていこうと思って、思い立ったらできるだけ行動するようにしています。

 

「幼い頃のあの日」は記憶にとどめつつ、その中の嫌な思い出はできるだけいい思い出に記憶をねつ造する。

そして、新しい思い出をどんどん作っていったほうが、私の心の健康にもよいと思っています。

 

 

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