こんにちは、ドクダミ淑子です。
前回、私は進学校に入ってよかったという記事を書きました。
次は、有名大学に入って人生変わったと思うという話です。
有名大学=真面目過ぎてつまらない?全然違います
受験で入るのが難しい、誰もがその名前を知っている有名大学というと、真面目なイメージをお持ちの方もいるかもしれません。
みんな品行方正で、冗談も言わないような環境で、常に勉強しているイメージでしょうか。
そのイメージ、真逆と言っても過言ではありません。
実際に、そういうガリ勉タイプもいますが、真逆のタイプもいます。
つまり、色々なタイプが集まっている環境、それが有名大学なのです。
世の中は色々な人がいるということを実感した
周りにいた人をざっと挙げても、本当に色々な人がいました。
- 中高から優秀な成績を収めてきた真面目な人
- 国家公務員や弁護士などを目指して大学1年から勉強尽くしの人
- 他人の家を転々としながら生きている人
- バイト三昧の人
- 附属からのエスカレーターでチャラチャラな人
- 一芸入試(AOとか自己推薦とか)で入った人
- 留学生
- 帰国子女
- 正真正銘のお坊ちゃま・お嬢様
- サークル活動に命を注ぐ人
- 学生時代からビジネスをやって結構なお金を持っている人
- 政治的活動をしている人
- 学ラン+学生帽(カツオがかぶっているやつ)+下駄で歩く人
- 大学内で野宿している人
- 浪人とか留年とかしまくって大分年上の人
- 社会人で学び直す人
中学で優秀な成績を収めた大人しい人の寄せ集めの平和な進学校に通っていたので、カルチャーショックを受けました。
こんなに色々な価値観・考え方・生き方の人間がいるんだということを、18歳になって初めて知りました。
(地元にも、ヤンキー的なジャンルだと色々な人がいるけどね)
自分が「凡人」ということを実感した
大学に入る前は、自分は結構優秀な人、頭のいい人だと思っていました。
学校の成績は結構いい方だし、 周りからも頭がいいと褒められていたので、ちょっと調子に乗っていたんですね。
でも、それは完全に「井の中の蛙」だということを知りました。
自分よりもはるかに頭が良い人が、ゴロゴロいる。
頭の回転が高速で、話の要点を捉えるのが恐ろしく早く、返しも早い。
皆の意見をしっかりまとめ、納得いくポイントに着地させる。
今まで、「自分の正しさ」を主張することはできていましたが、周りの意見を理解し、すり合わせすることはできていなかったなと思い知らされました。
18歳で自分の鼻をへし折られて、とてもよかったと思っています。
おかげで、変なプライドのある大人にならずに済みました。
勉強を最小限に、好きなことができる4年間だった
高校までの私は、「やらなければいけないこと」をこなす毎日でした。
授業・宿題・予習・復習・部活・バイト・家の用事や友達との約束・・・そんな事でほぼ毎日が終わっていました。
大学に入って、ある教授から「授業以外に大事なことがあるから、今すぐ出て行っていい。自分もそうだった」と言われて、衝撃を受けました。
講義は必ず行かなければいけないわけではないということから解放されて、物心ついてから初めて「やらなければいけないことがない時間」から解放されて、色々なことをしました。
- 友達と遊びに行く、カフェで延々としゃべる
- 美術館や図書館巡り
- ひたすら本やマンガを読みまくる
- mixiで文章を書きまくる
- 写真にハマってみる
- オールで飲んだりカラオケをする
- 野宿する
- 家に引きこもる
- クラブデビュー
ちなみに、学校によっては授業がカッチリ組まれていて、サボるなんてありえないみたいなところもありますので、「行っても行かなくてもテストさえよければOK」みたいな自由な校風の学校に入れてよかったと思います。
大学は学費を払ってるんだから勉強しろという意見もあるかもしれませんが、私は文系なら、そんなことはないと断言できます。
大学の講義(教養分野)みたいな「浅く広く」も大事ですが、色々なことを試した上で、何かを「狭く深く」学んだほうが、今後の人生の糧になると思うのです。
若いうちに、色々な人に会って「器」を広げるべし
私は大学に入って、色々な人とあって価値観が変わったと思っています。
でも、別に有名大学だからというわけではなく、色々なところに、色々な人と接する場はあると思います。
できるだけ若いうちに、「世の中にはいろいろな人がいる」ということを知り、自分を過大評価している人は上には上がいるということを実感し、さらなる成長を目指していくことができる環境づくりをオススメします。
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