こんにちは、ドクダミ淑子です。
夫のいないある日、勝間和代さんのブログを見て感化された私は、一人で炊き込みご飯を作って楽しみました。
- 蒸し豆4種詰め合わせ
- 油揚げ
- まいたけ
- えのき茸
- 米
- 押し麦
とはいっても、豆もキノコも産地にこだわらないし、みりんもちょっと入れちゃうけどね。
そんなカツマ―をかじり気味の私ですが、彼女のカミングアウトにはちょっとだけ驚きました。
著書を読んでいたりする私は、ちょっとだけ驚き、「へぇ、そうなんだ」という一言が出てきたのですが、その後いろいろと考えたので、まとまりのない話をつらつら書いていこうと思います。
最初に書いておきますが、私の中では答えは出ていないです。
LGBTってなんでカミングアウトしなきゃいけないんだろう
一番私の心に引っかかったのは、ブログのリンク先のBuzzFeedのこの部分でした。
私は同性を好きだって、わざわざ公表をしないといけないって、本当は変ですよね。私は左利きですって、いちいち公表しないのと一緒で。
私も、そう思うんです。
なぜ職場に、世間に、わざわざカミングアウトしなければいけないのか?
カミングアウトしなければいけないほど、独身いじりとか恋人ナシいじりとかする人がおかしいんじゃないか?
異性愛でもそうではなくても、自分のプライベートな部分をいじられて苦しむ人がいる状況の方が問題じゃないのか?
普段、異性とどんなセックスをするかなんて、知らないし言わないじゃないか。
プライベートで誰と何をしたかなんて、職場に報告しないじゃないか。
でも、なぜ、LGBTはLなのかGなのかまで含めて言わなきゃいけないのか・・・
でも、自分が当事者だったら言ってほしいと思ってしまう
自分と直接関係のない人だと、「へぇ、そうなんだ」「でも、わざわざ言うのおかしいよね」と思います。
でも、私自身はその昔、「なんで早く言ってくれないんだろう」とモヤモヤしたこともあります。
以前書いた、デートのお作法を教えてくれた男友達の話。
当時はカミングアウトもしていなく(最近して男性パートナーをSNSで公開した)、「オネエ」疑惑を否定していました。
男性との接点があまりない、非モテ女の私は、デートしてくれる男性に、ストンと恋しました。
彼はそんな私の片思いを、見てみぬふりをしながらスルーしていました。
ちょうど同じ時期に、ゲイなんじゃないかと思う男性に片思いしてしまった女友達がいたので、夜な夜な二人で酒を飲みながら、ぐだぐたと語り合っていました。
「なんで私達の好きって気持ちは届かないのー?」
だから、片思いしていた立場からすると、ちゃんと言ってほしいと思ってしまう。
苦しいから、諦めるべき理由をちゃんと言ってほしい、そう思っていました。
でも、分かっているんです。
男だとか女だとか関係なく、たとえ彼が異性愛者であったとしても、私と彼と付き合えるかどうか、彼も私を恋愛対象として好きかどうかなんて、わからないことを。
異性愛者だからと言って、異性ならば誰とでもと付き合えるわけじゃないから、どっちかなんて確認しても意味がないということも。
でも・・・と、無限ループを繰り返してしまうのです。
いつか、サラリと確認する時代が来るのかな?
30代からすると驚きの話なのですが、最近の女子高生は「みんなー、差し入れもらったよー!アレルギーある子いる?」などという会話が当たり前のようになされているそうです。
私が子どもの時代には、アレルギーがある子はクラスに1人いるかいないかくらいという、アレルギーがあることが珍しい存在でした。
花粉症もクラスに2人くらい、目を真っ赤にしながらも、マスクはしていなかったと記憶しています。
でも、今はそんな風に確認することが当たり前になっていて、別に申し訳なさそうにではなく、「あ、私そばダメ!」とサラリといえる時代。
自分のセクシュアリティについても、サラリと言って「あ、そうなんだー了解!」で済む時代が、いつか来るのだろうか。
でも、どっちが好きなんて変わることもあるかもしれないし、やっぱり言わなきゃいけないほうがおかしいのか・・・
私の答えは、やっぱり出ないままです。
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