ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

退屈な日常を愛するということ

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

久しぶりに、「はぁ・・・ブログに何を書こうか?」って状態になっています。

いや、書きたいネタというかタネ、みたいなものはちょこちょこあるんだけれども、私は文章の大筋が決まってから書き始めるタイプなので、発芽しないタネ状態では「まだ書けない」って感じなんですよね。

 

はあちゅう先生も、ここ数日はとっても平和な毎日を過ごしている感じですし。

 

 

不倫話・匂わせ・・・アピール合戦の末に勝ち取った平和?

まぁその平和っていうのも、その前に色々とツッコミどころがありましたけどね。

 

2月上旬からの体調不良が解消したら、女性No.1インフルエンサー(FLASH調べ)のはあちゅうさんなのに、相手の写真をアップしない「友人」と会ったという話がちらほら出てきたり、突然「不倫についての話をシェア」しだしたり、クリスマスには9800円・1粒490円のシャインマスカットを贈ったのに旦那さんからは何も貰えなかったことへの腹いせなのかバレンタインには旦那さんには何もあげず、その代わりに「お仕事の相手や会う予定のある人たち」用にチョコを買い、「撮影者(男性っぽい)が映り込んでもこのスマホなら消せます!」とビフォーアフターの写真を出してみたり、友人(意味深)と回らないお寿司を食べに行ったり(やっぱり顔写真なし)・・・と、私からすると「匂わせっすか?」ってなるようなことが沢山あった上での、旦那さんからのヴィトンの小物入れのプレゼントと、家族でイチゴ狩りなんですけどね。

・・・なんか、突然長文になってしまったわ。

 

私は性格が悪いので、こうやって、「放っておくと、私は他のところに行っちゃうよぉ」ってやらないと、色々な家族サービスを勝ち取れないのではないか?なんて考えてしまう。

 

不倫しそうなくらいの危うさを
私が漂わせていないと
旦那の気が緩むぜ…
と勝手に思っています

(あくまでもうちの夫婦の話ですよー)

 

 

「失ってしまいそうだから、大切にする」という世界

これは、彼女が発信する情報をつなぎ合わせての妄想なので、何が「真実」とかそういう話ではないのですが、仮に「何の条件もなく、ただそばにいてくれる」という状態を喜べず、「ちゃんと繋ぎ止めておかないと失ってしまうという危機感があるから」そばにいてくれることを喜べる・・・という状態だったら大変だなと思うのです*1

それぞれが、「放っておかれたら他の異性とイチャイチャしちゃうからね」とプレッシャーをかけながら、パートナーに対して接していく。

常に異性の影をチラつかせながら、相手の反応を見る。

 

・・・なんてね、面倒臭くてやってられません、私なら。

私も夫も、そういう「恋の駆け引き」みたいなのは、面倒臭いんですわ。

お互い、仕事で感じるハラハラドキドキ達成感みたいなのが大きいから、そう思うのかもしれないけれども、家庭では何のハラハラドキドキもなく、相手を疑うこともなく、平和に暮らしていたい。

 

そんなことを考えていると、私はこう思ってしまう。

 

なぜ、人は退屈な日常を愛せないのだろうか?なんてことを。

 

 

退屈な日常を愛するということ

退屈な日常を愛する。

何の波風も立たない、ただ笑って終わる1日。

そういうのを、「私の人生、これでいいのか」と疑問に思ってしまう。

 

・・・そんな、平和だから味わえることって、何かが起こると一瞬で無くなってしまう。

私たちは、その退屈な日常では普段は満足できず、震災や、戦争や、その他色々な事件・事故が起こってそれが失われた時にだけ、「あの退屈で平和な日常が戻ってきて欲しい」と思う。

何度も何度も、そうやって、「あの退屈で平和な日常が戻ってきて欲しい」と思うのに、いざ平和になると、いつの間にか忘れてしまう。

 

そして、日常には満足できず、時には不倫したりギャンブルにハマったり、そういう愚かなことをしてしまう・・・人もいる。

私は不倫したりギャンブルしたりはしないけれども、仕事での大型受注をした時の興奮とか、営業ランキングが何位かとか、そういうハラハラドキドキや、1位という達成感とか表彰台に上る高揚感とかを、「快感」と感じて求めるから、きっとその辺は似たようなものだろう、と思う。

そうやって、何かしら自分の心が乱されることを求めてしまう・・・人間の「業」だよなと思う。

 

 

それでも、日常を愛そうじゃないか

そう考えると、私は、産休・育休を通して、さっき書いたような「仕事で感じる快感センサー」みたいなものが退化したなぁと思う。

私の中の狩猟民族的な部分が。

 

産休・育休の1年半くらいかけて、半ば強制的に「日常を愛する」みたいなことをして、その大切さを実感して・・・また来月から狩猟の場に戻るのだけれども、この1年半で感じた「退屈な日常を愛する」みたいな気持ちは忘れずにいたいなぁ、と思う。

 

 

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*1:余談ですが、しみけんさんは著書『光り輝くクズでありたい』の中で、旦那さん公認でAV女優をしている方が、撮影の前に旦那さんとセックスした形跡を残してくると「愛情を感じて興奮する」と書いていました。