こんにちは、ドクダミ淑子です。
以前買った、こちらの本を読みました。
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できるだけ一気に読みたいなと思っていたので、読み始めるまでちょっと時間がかかってしまった。
どんな内容なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」
逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を”解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。
物語は「推し」が「燃えた」ところから始まります。
主人公、あかりの生活と、推しとの関係とが少しずつ変化していく・・・という物語です。
勢いに圧倒される
私が読み終わって最初に出てきた感想は、「すっげーすっげーすっげーな(『うっせーな』のメロディで)」でした。
「すごい」っていう気持ちが、あのメロディの勢いで押し寄せてきたのです。
あの、若さと勢いとが混ざって衝動的になったような、あのメロディに乗って。
面白い本は最初から面白いっていう言葉をどこかで聞いたことがあるけれども、この小説は特にそれで。
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」という冒頭から、「メッセージの通知が、待ち受けにした推しの目許を犯罪者のように覆った」までの1ページで、物語の世界にぐっと引き込まれた。
高い表現力と、高い解像度
あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。
主人公のあかりのことを、「ADHD」「摂食障害」などと固有名詞で言ってしまえば、その「症状」というのはなんとなく分かるんだけれども、作者は絶対にそれをしないのです。
固有名詞で書かないで、描写だけで全て読者に伝えようとする。
そうすることで、私たちがなんとなく「その言葉」を耳にした時に出てくるイメージ――きっと似ているようで各々微妙に違うもの――を想起させず、文字で読ませることで統一させる。
そうやって、「病名」付きではない、あかりという人間を浮き彫りにさせていくのです。
固有名詞を出さないのは病気の話だけだけれども、それ以外も描写で理解させる力はすごい、つまり表現力がすごい。
読んでいて「すごい」の連続だったんだけれども、ふと気になったことがあります。
これがあかりとしての描写なのか、作者の宇佐見さんが常に見ている世界なのか?
もしも後者だったとしたら・・・彼女の世界の見え方は解像度が高すぎて、逆に生きていくには色々なものが見えすぎてしまうのではないか?と思ったのです。
たとえば、私は絶対音感があって、10代後半~20代前半の多感でストレスフルな時期には、物音すべてが音符になって聴こえてきて、ちょっと苦しかったのですが、それと同じように、ここまで解像度が高い見方だと、世界が鮮やかに見えすぎてしまうことでの苦しさみたいなものがある気がする。
でもそれを生かせるのが、作家という仕事でもあるのだ。
推しがいても、いなくても
私には「推し」はいない*1。
でも、推しがいてもいなくても、この本を読んでいると呼び覚まされるものはあって、誰もが自分の記憶のひきだしから、何かを引きずり出されると思う。
中二病だった自分、夢中で誰かを追っかけた思い出、失恋しただけでこの世が終わってしまうかと思った悲しみ、まるで雷に打たれたかと思うほどの衝撃、芸能人の結婚報告に「会社休むわ」と思ったことなどなど・・・誰もが味わうであろう、強い感情。
それがSNSとリアルの入り混じり「燃える」現代という舞台で語られているのです。
一言でいうと・・・すごかった。
自分の語彙力の乏しさに気付く1冊でした。
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*1:ラルクは「ファン」という認識なので