
こんにちは、ドクダミ淑子です。
ここ最近の私の人生のテーマは「教育」なんですよね。
子ども(4歳)の教育、後輩(推定20代後半)の教育などなど。
大人の教育をしながら我が子の教育をする・・・とやっていると、大人になって社会に出る前に身に付けないと間に合わないこともあるのかもしれないと思ってしまう。
そのくらい、大人の教育というのは教える側も、教わる側もしんどい。
教えても何も身に付かないしんどさと、教わっても何も理解できないしんどさがあって、これが教わる側が「話半分で受け流してるっス~」ならまだマシなんだけれども、今回のケースだと真剣に聞いてくれていて、でも全く理解できないのでしんどい。
私の教え方が悪いのか?と思って色々改善策を考えてきたけれども、今までの子はそれなりに理解してくれていたので、必ずしも私の教え方だけではないと思えてきた。
・・・となると、やっぱり小さい頃から「人の話を理解する力」みたいなのは身に付けさせたいなと思っている。
叱らない育児なのか叱る育児なのか
そんな中で、Xでは「叱らない育児万歳」みたいな投稿が流れてきていて、私はそれに疑問を呈している。
ご飯をぶちまけても死なないから問題ないし、歯磨きも嫌がる時はキャンセル。
小さなことで叱られないから子どもは穏やかになるし、ママもイライラしない。
・・・ってそれ大丈夫?と思ってしまう。
そこまで行くと「子どもの将来に無関心で、親がストレスなく今を乗り切る方法しか考えていない」と思ってしまうんだよな。
確かにそれで、みんなハッピー♪なのかもしれないけれども。
私も叱らない育児みたいな本を沢山読んでいるけれども、それは「叱る」というよりも自分の怒りとかイライラを子どもにぶつけないようにとかの方が大きい。
そもそも「育児?ストレスなんてありませ~ん」というのは、それはそれで不思議。
たとえストレスは無くても、悩みは尽きないし、「これが正しいのか?」といつも考えてしまう。
そんな風にモヤモヤしていると、だいたい私は本を買う。
自分ではない第三者の意見、それも専門家が書いた、ある程度まとまった分量があるものを読みたい。
・・・と思っていたら、叱らない育児の未来みたいな投稿関連で『「叱らない」が子どもを苦しめる』という本が流れてきた。
そしてすぐに書店で買った。
自分の未熟さと向き合う
まだ読み途中で半分くらいしか読んでいないので、感想はまとめて別の記事に書くとして、読んでいて気になったことがいくつかある。
1つは、「自分の未熟さを受け止められずに目を逸らしてしまう」ということだ。
これは現時点では多く「子ども」のことについて書かれているけれども、親の方にも当てはまることなんじゃないかなと思う。
自分が未熟だということに向き合えないから、なんだかんだ言い訳をつけて「親」として子どもの将来を考えることや、叱ることから逃げているんじゃないかと。
自分が未熟だということを直視できれば、「それを補うために」とか「成熟するために」とか考えられるけど、そうではなく「未熟であることを感知しない」みたいになっているんじゃないかと。
それでいて「ママもリフレッシュ!月に2回の夜のお出かけ!」とかやっているんじゃないか。
・・・なんて考えてしまう。
未熟だと受け止められた時がスタートライン
そう考えていくと、今面倒を見ている後輩も伸びしろはあるのかもしれない。
3ヶ月くらい前に、私はハッキリと彼女に「能力が低い」と言った。
彼女は「薄々気づいていたけど、面と向かって言われたのは初めてで、やっぱりそうなのかと思った」と言ってくれた。
これについても正解かどうかなんてわからないけど、私のある種の覚悟というか、お茶を濁さずに彼女の成長に向き合おうという気持ちだった。
なんだかんだで、彼女はその言葉を受け止めて、成長しようと頑張っている。
未熟さに向き合えているという意味では、強い子なのかもしれないなと改めて思った。
どこまで私と彼女の精神力が持つかわからないけど、出来る限り向き合っていけるように頑張ろうかな。
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