こんにちは、ドクダミ淑子です。
以前、トイアンナさんという方の離婚記事を読んで、感想を書きました。
その記事ではこんなことを書きました。
- 彼女は、「他人の感情の変化に疎い人」だ
- そして、自分自身の感情の変化にも疎い人だ
- 旦那さんは寂しかったのではないか?
- 戦闘民族だから、人の意見を尊重できないというのはサイヤ人に失礼だ
- わんわん泣く女は、普通の女ではなくてメンヘラ
- 白か黒か、両極端な考え方の人だ
さて、私がそんな感想を持ったトイアンナさんですが、最近離婚の理由を分析した記事が出ました。
今回は、こちらの記事を読んでの感想を書いていこうと思います。
コントロール・フリークだという告白
この文章では、彼女は冒頭で自分自身がコントロール・フリーク(完璧主義者の一種)であると言います。
そして、自分のことを理解し、自分の思う通りに動いてくれると思っていた彼がそうではなかったため、ケンカが絶えなかったと書いています。
最後に、自分の人生設計が彼によって変わる恐怖がなくなり、安心したという風にまとめられています。
私は以前の記事で、人の感情がわからないから、結果的に相手が傷つくことを無意識でしてしまうのではないか?と分析していました。
でもそうではなく、半分意識的・半分無意識に、自分の思い通りに相手を動かしたい・相手を支配したいというタイプだったんですね。
思えば、私の母もコントロール・フリークだったのかもしれない
この記事を読んで、私は自分の母からよく叱られていたのを思い出しました。
「どうして○○してくれないの?」
「○○だったら、○○なのは当たり前」
「いつも○○なんだから、勝手に変えないで」
「私がいつ○○していいって言った?」
こんな風に、いつも怒られていました。
私がだらしないというのが理由なもの多数ありましたが、中には、母の中での決まり事「○○ならば、○○しなければいけない」というのも含まれていました。
だって、「私がいつ○○していいって言った?勝手にやるな」なんて、冷静に考えたらおかしいですよね。
別に自分の意志で何をしてもいいじゃん、と思うのです。
だから毎日のように叱られ、叱られ慣れ過ぎてしまって、怒られること自体を何も思わない娘に育って、更に母をイライラさせる・・・という悪循環でした。
片田舎の一軒家なのに、夜に鼻歌を歌うことや物音を立てることに対してもピリピリされて、なんでこんなに縮こまっていなければいけないのかと疑問に思っていました。
結婚して実家を出て、母から解放されたことで、やっと羽を伸ばして、のびのび生活することができました。
そして、今までの生活スタイルを見直し、新たな生活の中の決まりを(大雑把ながらも)作ることができました。
そして不思議なことに、私が家を出ると、母の決まり事も減って、母のイライラも減ってきたようです。
もしかしたら自分の思い通りにならない大雑把な人と生活することに、ストレスを感じていたのかもしれません。
コントロールフリークは、親子で伝染する?
そんな母から離れた私なのですが、自分の中でも自分がコントロール・フリークなのではないか?と思うことがあります。
特に後輩に対して、なんとなく高圧的な態度をとってしまったり、問いかけをしながらも自分の考えている答えに導こうとしたりしてしまいます。
そんなときに、私は母の姿を思い出し、自分を戒めます。
トイアンナさんも、母が毒親だったと書いていました。
その母から逃れるように留学しても、結局その性質は受け継いでしまっているのです。
どうやってコントロール・フリークを抑えていくのか?
では、どうやって私自身は、自分の中に潜むコントロール・フリークを抑えているのでしょうか?
これは結果的にですが、社会人として、営業として10年以上仕事をしていることで、私は支配的な性格を和らげているのではないかと思います。
営業の仕事は、思い通りにならないことがたくさんあります。
自分の論理とは全く違う論理で動く人がたくさんいて、その人たちの気持ちを踏まえて動かないと、契約はもらえません。
後輩も、THE☆ゆとりがたくさんいて、自分の考え方とは全然違う人がたくさんいて、その子に動いてもらわないと仕事が成り立ちません。
そして、ヒアリングを通して、営業⇔顧客以外の働き方をしている人のことを知りました。
そんな風に、たくさんの人と出会い、肌で「他人は他人、自分は自分」ということを学んで、少しずつ大人になって、思い通りにならないストレスが減ってきたと思います。
理解して、分析しているんだから、「変わろう」と思ったら変われると思う
トイアンナさんはとても頭の良い方だと思います。
自分のことをここまで分析し、整理することができるんですから。
あとは、本当に自分の「業」と言っているコントロール・フリークを変えようと思っているのかどうかだと思います。
冒頭の文章を読む限りだと、「これが私、だって幼少の時からこうだもの」って感じで、あまり変えようという気がないように見えます。
これからも、トイアンナさんのことは、私自身を見つめる「鏡」としてウォッチしていこうと思います。
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