
こんにちは、ドクダミ淑子です。
イカれている人を「イカれている」と言うのは、私の防御反応かもしれない。
そういう人の気持ちに寄り添おうとか、そうなった背景を理解しようとか思うと、私がそちらの方向に引っ張られてしまうからだ。
以前、15年くらい前に一度だけそういう方面に行きかけたことがあった。
その時に思ったのだ、この人とは一線を引いておかなければいけないし、距離を置くべきだし、「私はこの人とは違う人間だ」と思わなければいけない、と。
・・・ということを、吉本ばななさんの「クラウディクラウドファンディング」というタイトルのnoteを500円で買って読んで、思い出した。
加担してしまったという後悔
ここにも書いたけれども、とにかく買ったことを後悔した。
特に感想などを見ずにポンと買って読んだんだけど、買ったことを後悔する展開だった。
— ドクダミ淑子🐤 (@dokudamiyoshiko) 2026年6月6日
あくまでも「私は逃げたから正常」みたいなスタンスで書いているけど、ネズミがそこら中にいる家に何度も訪問してそこでご飯食べられる時点で正常ではないし、散財されるのわかってて金払い続けるの意味わからん。
内容が面白くないとかそういうことではない。
今までも本やnoteを買って「失敗したな」と思うことは多々あって、それは大した問題ではない。
そうではなく、狂った人を狂ったまま死なせるという計画に小銭とはいえ私のお金が加わってしまったことについて後悔したのだ。
イカれた人とはきっぱり距離をおいておきたかったのに、自分のゲスい興味で大して調べもせずにお金を払ってしまったことを。
でも後悔してもPayPayしてしまった以上、お金が返ってくることはない。
全員が狂っている
吉本ばななさんは、自分も母に壊された人間だということを言いつつも、あくまでも「私は正常」みたいな感じでいる。
でもどう考えても正常ではない。
もう消えてしまった明るい姉の影を心の中に映しながら、そうではない「今の状態」から目を背け、そして金を送ることで「今の状態」を保つことに、いや「保つ」ではない、「悪化させる」だ。
ネズミがそこらじゅうにいる家に狂った人間を住まわせ続けることに全力を注いでいる。
どう考えても事態を悪化させているだろう。
正常で居続けるという愛
よく、「彼女(もしくは妻)の精神が安定しているということが一番大事」という発言が流れてきて、そういう言説を「大変なんだからそれどころではない」と反発する人がいるけれども、こういう文章を見ていると、「正常で居続ける」ということは子どもにとって一番の愛情表現なんだろうなと思う。
狂っている人間がそばにいると、人は大なり小なり狂う。
「小なり」くらいなら、逃げることも出来るかもしれないけれども、子は親から逃げることは難しい。
「ママは毎日大変だから」という理由、もしくは「自分は親に虐待されてきたから」という理由があったとしても、子どもの前ではできるだけ、いつも「正常」でいるべきだし、そうではない人は安易に親になることを考えてはいけないだろうなと思う。
まぁ、狂っている人ほど「自分はまともだ」と思うから、その「正常」というのは何をどうするのが正常なのかはわからないけれども。
少なくともネズミのいる家に住む人も、そこで大晦日+正月三が日を過ごせる人も、まともではないことは間違いない。
「すごい」とは言えない
これを読んで「魂の叫びだ」と感動出来る人は、どういう感覚でいるのだろうかと思ってしまう。
他人事に関する意識が低すぎるのか、感性が死んでいるのか、読解力がなさ過ぎるのか、もしくは同じように狂った人間に育てられた人間なのか・・・
私も母との折り合いが悪かったけれども、ここまで狂った人間に育てられたわけではなく、なんだかんだ幸せにすくすくと、のうのうと育ってきた。
だから私は、これは受け入れられない、
消化できない文章で、簡単に「すごい」「魂の叫びを感じた」みたいなことは書けない。
「狂っている」くらいだ。
「イカれている、だから近づかない」
私は今後二度と、吉本ばななさんのnoteを買うことがないと思う。
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