
こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、このブログを書いていて思い出したんですけれども、皿をよく割っていた時期があったんですよね。
あの時が限界だった
皿を割っていた話はここにも少し書いているけれども、「離乳食後期くらい、去年の秋か冬くらいが、夜泣き・離乳食リバース・家の中の扉だの加湿器だのに執着して大変だった時期」だったみたい。
もういつのことだったのか、何枚くらい割ったのかは忘れてしまったけれども、少なくとも5つ以上の皿やグラスを割ったと思う。
しかも短期間で。
あの時が自分の限界だったのだろうなと今となっては思う。
そしてその後、我が家の食器は簡単には割れない樹脂製が増え、パン祭りの皿もヘビーユーズするようになり、ダイソーやセリアで買った「割れても精神的なダメージが少ない皿」ばかりになった。
でもそれでいいと思う。
注意力散漫人間と育児の相性の悪さ
そんな注意力散漫人間なので、乳児育児は結構ストレスだったんだろうな。
気を抜いたら、子どもは死んでしまうかもしれないような状況が常に続き目が離せないうえに離乳食の用意だのこぼしたものの掃除だの、大人の生活では存在しない手間がたくさんある。
そりゃしんどいわ。
とりあえず、大きな事故なく乗り切れて、皿を割るくらいで済んでよかったなぁと思っておくようにする。
仕組みを変える方がラク
「注意する」「気をつける」というのは、私の中では長くは続かない。
「できるようになった」と思ってちょっとでも気を抜くと、すぐに割ってしまう。
そして「やっぱり私はダメなんだ」と自己嫌悪に陥る。
そんな流れになるのが予想できるなら、割れない皿を買った方がいいのだ。
そうやって、私は「仕組みを変えることでどうにかするしかない」という気持ちで生きてきている。
「しっかりする」「ちゃんとする」というのは自分には無理なので、自分が無理しなくても背伸びしなくてもできる内容・サイズ感に調整することの方が大事なのだ。
傘も何本も無くしたから、折りたたみ傘しか持たないし、荷物も学生時代に網棚の上に置き忘れたとで終着駅の警察署まで行くことになったことが2回あったから、もう手元から離さない。
「気をつける」ではなく、「気をつけなくてもどうにかなるようにする」が大事なのだ。
・・・ということを熱く語っているけれども、会社で隣の席で仕事をする先輩は真逆で、「デジタルよりも自分の記憶と注意力の方を研ぎ澄ます」というタイプだった。
まぁそれで「自分はしっかりしている」ということでプライドを保つというか、それが自信につながる人もいるのだろう。
人それぞれだと思う。
でも私は、ちょっと行き詰まると大量に皿を割る人間だということを忘れてはいけないと思う。
だからこそ、割れない皿を探して導入し続けて、少しでも自分が生きやすい環境を作っていくのだ。
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