
こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある日、保育園の先生から、こんな話を聞きました。
「お友達とオモチャの取り合いになって、うちの子どもが黙り込んでしまった」と。
同じ流れかと思いきや
そして先生は聞きました、「どんな気持ち?」と。
そしたら、「わからない」と答えたとのこと。
ああ、これ前もあったな・・・
前の担任の先生から「わからないと言うってことは理解していない、だから発達に課題があるのでは?」と言われたやつ。
ただ、今の担任の先生の話はそこから続きました。
「私は、わからないじゃなくて、自分の気持ちを上手く表現できないとか、表現しちゃダメだと思っているんじゃないかと思ったんです」
「だから、自分の気持ちを伝えるのはいいことなんだよ、ちゃんと言ってごらん、大丈夫だよ、と言いました」
「何度も伝えて、言ってみよう!って促したら、ブワーって泣いて、”嫌だった、嫌な気持ちになった”って言ってくれたんです」
「だから、自分の気持ちを言えたね、よかったねってたくさん褒めました」
そうなんですよね、なんか「正解を言わなきゃ」とか「これを言ったらダメかな」とか考えすぎての「わからない」なんですよね・・・
「小学校に入ったらここまで先生は”自分の気持ちを言ってごらん”ってやらないので、今のうちに自分の気持ちを伝えられるように、お話していきますね」
この先生でよかったな・・・とものすごく安心しました。
どこまで「見ている」のか
そんなタイミングで、前の担任の先生に会いました。
ちょうど、お迎えの後に保育園のお友達が同じ方面に帰るところだったので、一緒に手を繋いで歩いている時に遭遇しました。
先生が道端でふざけるから、それまで落ち着いて歩いていた子どもたちが興奮して、サーッと走っていく・・・あぶねーよ!
走って追いかけて2人を捕まえたところで、「すみませんでした」と言われたけれども、なんだか釈然としないというか、「ああ、この人のことは私が苦手意識があるんだな」ということにあらためて気付いた。
面白くて楽しい先生なんだろうけれども、色々なところが表面的というか、目に見えている面でしか理解しないんだろうな・・・と思ったり。
いや、考えすぎなのかもしれないけれども。
今のシーンも、きっと自分が原因で走り出したのではなかったら「道端でふざけるなんてまだまだ分別がつかないんだな」と思うだろうな。
同じようなことがあった時、その背景とか経緯とかを見てくれていたんだろうか。
まぁ、今回は先生に出会う前はゆっくり落ちついて歩いていたからな・・・さすがに分かるか。
あと1年、成長できますように
そんな2つの出来事があって、改めて、今の担任の先生はうちの子を良く見てくれているなぁと尊敬の念が強くなった。
子どもの心の小さな動きとか、言葉から出てくる本当の気持ちとか、そういうところを見逃さずにキャッチして、そこにちゃんとアプローチしてくれる。
子どもはたくさんいるのに「ここまで見てくれているのか」と感動したんだよな。
私なんかよりもずっとずっと若いのに、素晴らしい人だなと思った。
この先生と一緒に過ごして、色々な経験をすることで、卒園するまでに我が子がさらに成長できるといいなぁ・・・
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