ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚40代女、ドクダミ淑子の毎日

最後の食事と、最後じゃない食事と


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

祖母が亡くなってから、1年が過ぎました。

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・・・といっても、私の中では祖母がいた時間は39年あるので、祖母がいない1年は私の人生の中でまだまだ割合的には短い。

もうすぐ70歳近い私の母なんかは、もっともっと「いない時間の短さ」と「短さのわりの重さ」というのを感じているだろうなと思う。

 

そんな中で、ふと思い出すのが、「最後の食事」について。

 

 

最後の食事というもの

祖母は入院してから少しずつ少しずつ悪くなっていき、時期に昏睡状態になって亡くなっていったのですが、起きているときもちょこちょこあって。

「もうダメかもしれない」という日に私が無理やり会社を休んで会いに行ったのですが、その日は拍子抜けな感じで持ち直して、それどころか食事を欲しがる素振りを見せていたんですよね。

 

なので、栄養士さんが用意してくれた食事を、私が介助して食べてもらうという回になりました。

 

結局それ以降は食事らしき食事は摂らずに亡くなってしまったと思うので、たぶん私が「最後の食事を介助した人間」になったのだと思う。

そんなことがあったので、1年経っても、ふと考えることがある。

 

「あの食事を提供して見に来てくれた栄養士さんってどんなことを考えているのだろうな」ということ。

 

鈍感な私だって薄っすらわかっていたけれども、今まで色々な人の終末期を見てきた看護師さんや栄養士さんなんて、もっと分かっていただろうな。

「これが最後の食事だろう」ということは。

 

ただ、それを気づいていなさそうな鈍感な家族に勧めて、二人きりにさせてくれた看護師さんや、挨拶に来てくれた栄養士さんがいて、二人の心の中はどうなっていたのだろうか。

別に残酷だとかそういうことを言うつもりではなく、このシーンって辛いのか、幸せなのか、どちらに見えるんだろうな・・・と思ったりもする。

尊い仕事ということは間違いないし、病院からの計らいでこういう機会を頂戴できたということには感謝しか無いんだけれども、やっぱり「命」をダイレクトに扱う仕事ってこういうところでその重さに向き合うことが多いんだなぁと思ったというか。

 

病院というのは「病気を治す場所」だと思っていたけれども、実はこういうところで、「治す」以外のことを行っている医療従事者の方もいたのだなと、今更ながら気づいた。

私はその方々がいたからこそ、祖母に向き合うことが出来たのだなと思う。

 

皆さんが口を揃えて言っていた「もう少し良くなったら」という台詞が優しい嘘だったことも含めて、感謝してもしきれない。

 

 

人生は長いから

そして、祖母は本当に色々な人に愛される人生だった中で、その最後の食事を担ったのが私でよかったのだろうか・・・と思っていたりもする。

繊細タイプの母にはその荷は重すぎただろうなとは思うけれども。

 

ただその一方で、人生というのは「死ぬ瞬間」だけに凝縮されるものではないなとも思っている。

死期が近くなってから、危篤状態になってから、最後だからと会いたい人に会って・・・ってやるだけがその人の人生を彩るわけではなくて、むしろ大切なのは「そういう風になる前」の部分だと思う。

 

元気なうちに、どれだけ人に会って、楽しい時間を過ごせるか。

やりたいことを、たくさん出来るかどうか。

 

「最後の思い出」も大事だけれども、その前だって大切。

だから、出来るだけ大事な人達とは、こまめにコミュニケーションを取っていきたいなと思う。

 

ふと思い立って、突然焼肉パーティーしたのもいい思い出。

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元気なうちに沢山の思い出を。

これを読んでくれた人は、思い浮かんだあなたの大事な人に、一行のメールやLINEでもいいから連絡をしてほしいな。

 

 

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