ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚40代女、ドクダミ淑子の毎日

地獄の沙汰も金次第と言いますが

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

ある休日、公園に向かっている途中の道で、追い抜いた杖を片方は付いて歩いている高齢女性2人組がこんなことを言っているのが聞こえました。

 

「何事も金次第なんて嫌ぁねぇ」

 

 

このブログは妄想でお送りしますが

どういう話の流れなのかは存じ上げないので、この記事は想像・妄想・憶測だけでぶち上げるものになるのですが、もしも「諸々の高齢者へのサポートが払える金額次第で決まる」みたいな話だったら、「そりゃそうだろ」となるわなと思ったのです。

 

いやむしろ、払うお金の多寡に関わらず同じサービスを受けられるとなったら、それは違うんじゃない?と思うんだけれども。

「切ないわねぇ」「なんだかねぇ」みたいな会話をしていたので、おそらく何かが所得か料金で差がつけられているのだろう。

当事者からしたら、「世知辛いわね」なのかもしれないけれども、「そっち側」に行くならお金を払う、払えないなら料金なりのサービスを受けるというのが筋というものではないか?と思った。

 

 

高齢者は優遇されるべき?

私は普段は、「高齢者は優遇されていて、子育て世代は冷遇されている!高齢者への優遇を辞めろ!」みたいな論調は嫌いなんだけれども、もしかしたら高齢者側から「このくらい優遇されて当たり前!」と過剰なサービスを「当たり前」と捉えているということがあるのかもしれないな・・・と思った。

それはちょっとキツイ。

 

彼等彼女等からすると、「お金を払わなくても、それなりのサービスを受けたい」「お金じゃなくて愛とか情とか尊敬とかそういう次元なのだ」とか思っているかもしれないけれども、実際人手もかかるし金もかかるからな・・・それを「福祉は払う金の多寡にかかわらず充実すべき」ってなったら財政が逼迫するのは間違いないわけで。

 

んで、こういう「お金に関わらず何かを受けたい」というのが、「家族」とか「嫁」とかに来ると更にキッツいんですよね・・・

実子ならまだしも、義理の方に来ると、「それはちょっと無理」ってなる。

 

 

「お気持ち」だけではやっていけない

世の中には「お気持ち」「愛」だけで生きている人もいて、自分がそうやって生きるなら自由にやってくださいなんだけど、自分と同じようなことを相手に求めるのは何かが違う気がする。

ましてやそれを「他人」にお金なんて関係ない!と言って求めるなら、止めておくれよとしか言いたくなってしまう。

 

この話は高齢者の一言二言くらいでぶち上げている完全なる妄想話なので、本当に「お金で格差が付けられるなんてひどい」って話なのかもしれないけど、そもそも「お金で格差が付く」というのはある意味平等なんだけどなとも思う。

足りない部分は福祉で補うというのもあるんだけど、それにも限界がある。

 

そんな感じで、モヤモヤしながら公園まで向かって、着いたら砂場でズボンの尻を真っ黒にした我が子と出会ったのでした。

その中には新しい砂が入っていて、こんなところもお金をかけてくれるのか、しっかり働いて税金納めなきゃならんな・・・と思った。

写真は本文とは全く関係のないスタバカップ(中身はジンジャーブレッドラテ)



 

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