こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は、自他ともに認めるポンコツなんですけど。
だからこそ、思うことがあります。
それは、「自分がポンコツであることに対しては、コストを払わねばならぬ」ということ。
相応のコストを払ってきました
このブログではたぶん書いていないと思いますが、今までの人生、ポンコツ故に色々なお金を払ってきました。
遅刻しそうだからタクシーに乗ったり、寝坊して飛行機に乗り遅れてチケット取り直したり、改札口で新幹線のチケットを2枚取るべきところを1枚しか取らずに紛失してもう1回買う羽目になったり・・・まぁ全部自業自得なんですけどね。
でも、そこで「係員の不手際」とか「対応が悪い」という不満を抱いたり、「私が!こんな対応された!改善のためにこれを希望します!」とかSNSに書こうとか全く思いません。
だって私が悪いもの。
私がポンコツ故にミスったことに対して、私以外の誰かが保証するなんて逆におかしくない?
そういう気持ちでいるから、勉強代と思ってお金は払うし、海外旅行保険も最近はホテルキャンセル保険も必ず申し込む。
ホテル代も家族全員分だとバカにならないからさ・・・
いやいや、それ自分のミスじゃね?
そんな気持ちでいるんだけど、世の中には、相当数の「私がポンコツなのは、この世の中の仕組みのせいなのだ!これは私が考えた改善提案である!心して聞け!」とのたまう方々がいるらしい。
「カフェでペンと充電器の貸し出しをしてほしいな!ナイスアイディ〜ア!」みたいな人とか。
最近だと、「搭乗口変更のアナウンスを1時間聞いていたが何も流れず飛行機に乗り遅れた!」とか。


いやいや、搭乗口変更のアナウンスなんて何度も何度も流れるし、捜索されたりしているシーンよく見るよ?
もしも本当に早めに来ていたなら周りの様子を見ていたらわかるし、不安になったら係員さんに聞けばいいし、海外でもわかるんだから日本でわからないわけがないだろ・・・
もはや「保護者の方やマネージャーさんと一緒に乗って乗り方覚えたら?」なんだけど、それを「改善のために投稿した」とはこれ如何に・・・

しみけん氏は「今後の改善のために!」ではなく、「腹が立ったから書いた」ですが、これらの件と同じく、自分がポンコツ故のミスを何故か係員の案内ミスのせいにしようとしているところがよろしくないなと思う。
まぁそんな感じで、世の中には「自分がポンコツ故にミスった。2度と繰り返さないようにこう対策しよう」と考えない人もいるらしい、ということにポンコツの私は驚く。
自分を変える方が楽だということ
なぜなら、「世の中を変えることのコスト」と「自分を変えることのコスト」を比べると、後者の方が圧倒的に低く済むからだ。
ポンコツ傾向のある人は、そもそも自分がポンコツであることに気づいていないから「自分ではなく世の中を変える!」ってなるのかもしれないけど、もう少し落ち着いて、あたりを見回してみな?
他の人がちゃんと出来ているのに自分が出来ないってことは、それは世の中がおかしいんじゃなくて自分がおかしいのよ?
これに気づくか気づかないか、というのと、そこから「ポンコツな私でも出来るようにしよう」と策を考えて一歩踏み出せるかどうかは、今後の生きやすさにめちゃくちゃ大きく関係してくる。
そして対策が取れると、めちゃくちゃ生きやすくなってくる。
膨大な量のビニール傘を紛失したけど、折りたたみ傘に変えたらさすがに紛失しなくなったし、キャンセル保険をかけたらうっかり日時を間違えても数万円をパーにせずに済むようになった。
リュックやバッグインバッグで忘れ物は減ったし、煩雑な業務はスリム化出来るシステムを作った。
とにかく、自分を取り巻く仕組みを変える方が楽なのだ。
まずは、「自分がどうやら他の人に比べてポンコツらしいぞ」と気づくこと。
これは、大きなショックかもしれないけれども、そこから「対策」は始まるし、やっていけば絶対に生きるのが楽になる。
その辺を、最近この本を読んで復習した気持ちになった。
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まぁ、その「環境や社会じゃなくて、どうやら自分がアカンらしい」ということに気づく、というのはなかなか難しいし、「私が悪いんじゃなくて社会が悪い」の方が簡単だし傷つかなくて済むから、そっちに逃げてしまう人も多いんだろうな・・・
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